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2008年1月10日 (木)

"Beruf"- "Ruff"問題に関する沢崎氏の見解

t-maru 氏から、下記のコメントを戴いています。行論上、箇条書きにし、この記事では沢崎氏と直接関連する2)のみ扱います。

1)ヴェーバーがルターを取り上げているのは、あくまで「トポス」としてであり、問題設定の解説、導入部に過ぎません。
羽入氏を含め多くの人がそこが本論であるように誤解しています。

2)それから「ルターの死後、ルターのあずかり知らないところでそれが”Beruf”に改訂されたのなら、確かにヴェーバーの議論は成立しない。」というのは、ルターが最初「状態」にあたる単語に翻訳していて、それが死後「Beruf」に改訂されたなら、という意味でruf(f)がBerufに改訂されたら、という意味ではありません。

2)について。

 故沢崎氏も緻密な方と見えて、その点については別の研究を引いて触れています。

沢崎堅造『キリスト教経済思想史研究』未来社1965年、p.62、より引用

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* カール・ホル(2)の研究によれば、ルーテルの"Beruf"に関する用法は大体四つあって、(一)"BerufがStand(地位・身分)又は、Amt(職務)の意味の場合、(二)"Beruf"がBerufung(召命)の意味を持つ場合、(三)"Ruff"がBeruf(職業)を意味する場合、(四)"Orden"がBeruf又はStandを意味する場合を挙げている。そして、第三の場合(主としてコリント前書七章)の例をもってウェーバーの所論を弁護しているが、その用例でも明らかにわかるように、その真意は地位とか身分とかの静態的意味に過ぎない。なお、これらカール・ホルの掲載した文献を、年次別にしてみると、厳密にはいえないけれども、大体に於て、初めの頃は、Berufung(招命)の意に用いられることが多く、後に至って次第にStand(地位・身分)の意に用いられるようになったことがわかる。

(2) Karl Holl, Die Geschichtge des Wortes Beruf, Gesammelte Aufsaeze zur Kirchengeschichte, III, Tuebingen, 1928, S.218

〔引用者注〕引用文の傍点は、下線に置き換えた。また、沢崎氏の作成したBeruf用例の対応表は省略した。この本、それほどaccessibilityは低くないと思われるので(「日本の古本屋」でも二千円前後)、関心のある方はご自分で確認されたい。

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 一応、引用まで。上記に関する私のコメントは、次回に。

 ただ、一言添えるなら、Max Weber も恐らく沢崎氏に同意するはずで、(少なくとも原論文ではなく)刊行書としての『宗教社会学論集』中の倫理論文であれば(沢崎氏もそれしか読んでいません)、「そのことは既に書いてある。」と、少々腹立たしげに言うだろうと思われます。

 今回、久しぶりに、大塚訳岩波文庫版「倫理」の該当箇所を読み、「なんだ、Weber は、全部、先回りして言ってあるじゃん。」との感慨を持ちました。ただ、まさにこの点が、この倫理論文のわかりにくさを繰り返し生み出してしまう。Weberによって回答済みであるにも関わらず、同じ点につき、別の論者が批判する温床となっています。原論文から大改訂などせずに、なぜ新たな別の論文を執筆しなかったのか訝しまれます。この点、故安藤英治氏の指摘に全く同感です。

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コメント

グリムのドイツ語辞書に、下記のルター用例があります。

selten wird ruf im äuszeren sinne von beruf gebraucht: und ist zu wissen, das dis wörtlin, ruff, hie (1 Cor. 7, 20) nicht heisze den stand, darinnen jemand beruffen wird, wie man sagt, der ehestand ist dein ruff, der priesterstand ist dein ruff. LUTHER 2, 314a; ich kenne keinen andern ruf, als das zu vollenden, was mein vater begonnen hat. KLINGER 5, 183;

http://germazope.uni-trier.de/Projects/WBB/woerterbuecher/dwb/wbgui?lemmode=lemmasearch&mode=hierarchy&textsize=600&onlist=&word=Ruf&lemid=GR09016&query_start=1&totalhits=0&textword=&locpattern=&textpattern=&lemmapattern=&verspattern=#GR09016L0

ここは、Rufの"Beruf"の意味の項の用例です。
外面的な職業という意味ではほとんど使用されなかった、としつつも、用例として
「コリントⅠ7.20」での"ruff"の意味は、「結婚状態」とか「修道僧である地位」といった意味での"Stand"という意味ではないと、「ルター自身」がそう述べているものが挙げられています。

ここについては、どういう文脈でルターがこれを述べているのが突き止められておらず、私自身の宿題と思っています。羽入氏の反論(?)本も出ると言うことですし、そろそろこの宿題をかたづける時が来たようです。

澤崎氏とカール・ホルの本は入手を試みます。ご教示有り難うございます。羽入氏もこのように、時間を開けずに意見を返してくれれば建設的な論争になる可能性があるのですが、まあ無理でしょうね。あの人はひたすら細々資料を集めて「妄想の城」を築いてからでないと、奥様以外とは意見の交換ができない人みたいですので。

投稿: t-maru | 2008年1月11日 (金) 21時19分

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