経済学部史学 vs. 文学部史学
前稿の問題は、所属学部の違いにも起因する可能性はある。
そもそも速水融自身が、慶応大学経済学部で野村兼太郎の薫陶を受けており、経済学、歴史学、史料学の修練を経た研究者であった。従って当然の流れとして Hayami school は経済学部をその根城とすることになる。
それに対して従来の、文献学的という意味での実証主義的日本史学は、元来が文学部を基盤として学界を作ってきている。
そもそもがその発生からして体質的に異なることは多少止むを得ないかもしれない。お互いが使用する、 grammar と vocabulary が異なるとすると、意思疎通に齟齬が発生しないほうがおかしいとも言えよう。
この事態は、実はそっくり日本政治思想史という分野にも繰り返されてきている。
荻生徂徠という徳川期最大(かどうかは留保が必要かもしれないが)の政治思想家を巡って、丸山真男の徂徠論を、尾藤正英がその早い時期から鋭く批判していた。
これなどは、単に学問上の意見対立のようにも見えるが、そこには、東大法学部・政治思想史 vs. 東大文学部・政治思想史、という、部外者からは似たもの同士に見えながら、その実、やはり grammar と vocabulary の異質性というものが背後に控えていた。法学部系の思想史家は、修業時代に具体的、実定的な民法・刑法の解釈学を通して、法の論理(当為と存在)やら、法論理の運用を仕込まれる。つまり、理論先行なのである。一方、文学部系の思想史家は、徹頭徹尾 text に内在すること、内在的に理解することを仕込まれる。「text をして語らしめよ」である。なにはともあれ、史料先行なのだ。
このような対立は、かの『国史大辞典』(吉川弘文館 刊行)における、「荻生徂徠」の項目執筆担当者が尾藤正英であることからも、如実に伺えるところだ。
少し話題がズレた。話題は、経済学部に生息する歴史人口学と文学部に蟠踞する実証史学のことであった。
出自の違いは、文学部史学系の書籍が吉川弘文館などから出版され、経済学部史学系の研究書が東洋経済新報社や日本経済新聞社、日本評論社といったところが版元になるというところにもよく現われていよう。岩波書店や東京大学出版会、創文社といった中立的版元は、どちらも出すわけだ。
ま、とにかく、歴史人口学者たちが杖にも頼りにもしている、経済学部に跋扈し、理論的にも実証的にも破綻している unco な理論経済学とは異なる、歴史複雑系的な社会科学方法論を、歴史人口学的実証研究から、歴史人口学者自身が帰納してきてもらいたい、というのが私の儚(はかな)い願望である(無理か?)。
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コメント
ぼくはおどろいてしまった さん
綴りまちがいのご指摘ありがとうございました。
助かりました。深く感謝いたします。
早速訂正しました。
やはり spelling check すべきですね。
手を抜くとこの様です。教訓とします。
他の記事にないとよいのですが。
投稿: renqing | 2008年2月 2日 (土) 02時05分
"grammer と vocaburlary" → "grammar と vocabulary"
二箇所で同じ綴り違いをなさっておられますので。
投稿: ぼくはおどろいてしまった | 2008年2月 1日 (金) 15時31分