「石高制」ってなに?
古井戸さんのコメントがらみから。
>米自体が貨幣の役割
はい、そうだと思います。そしてこれには重要な理論的問題が秘められています。
かつて、カール・ポランニー(Karl Polanyi)は、貨幣を論じて、多目的貨幣 all purpose money と、特定目的貨幣 special purpose money という概念を提出*しました。
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古井戸さんのコメントがらみから。
>米自体が貨幣の役割
はい、そうだと思います。そしてこれには重要な理論的問題が秘められています。
かつて、カール・ポランニー(Karl Polanyi)は、貨幣を論じて、多目的貨幣 all purpose money と、特定目的貨幣 special purpose money という概念を提出*しました。
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古井戸さん、コメントありがとうございます。
>米自体が貨幣の役割
これは大事な論点なので、別記事にします。
>米で給料をもらう武士が相場、と睨めっこ、して何ができるのでしょうか?
これについては、私が語るより、参考文献から引用しましょう。
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「士族の商法」という言葉がある。たいていは揶揄として使われる。しかし、これは本当なのだろうか。
徳川期、武士の禄は、米で支給された。その一方で、武士を取り囲む経済生活は、実質的に貨幣経済である。したがって、武士も支給された米を換金しなければならない。しかし、現代の米価と異なり、当時の米価は相場品である。その上、幣制が、金遣い、銀遣い、銭使いと複雑で、取引のオーダーによって、支払い貨幣は異なっていたのだ、金⇔銀⇔銭、にもそれぞれ相場がたち、日々変っていた。
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あるとき、ある場所で、岸辺から川面を見つめている人物Aがいるとする。どうもそのAは空腹の様子で、川を泳いでいる魚が欲しいらしい。そこに、魚釣りの技術と知識を持つもう一人の人物Bが通りかかる。通りかかりのBは、ぽつねんと所在なさげに佇んでいる件(くだん)の人物に親切にも声をかけた。
B「どうしたんだい。」
A「私は魚が欲しいのだ。」
B「そうか。俺は魚の釣り方を知っているぞ。では、私が釣ってあげよう。」
こうして、初め、Bは己の技術と知識を使って、川から魚を釣って、Aに与えた。Aは非常に喜び、腹が減っていたので、すぐ平らげてしまった。そこで、またAは言った。
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(1)より承前。
つまり、「困ったこと」の起源には、内部的な要因と、外部的な要因とがあるだろう、という話だ。
内部的要因は、当然、それに対処するのに制御可能性の高い手段を見つけやすく、比較的低コストで削除でき、外部的要因はその逆で、相対的に高い対処コストが必要と予想される。
ただし、ここからが難しい。
たいていの普通の人間や組織は、「困ったこと」が生じたとき、その原因が己のどこにあるのだろうか、とは、なかなか考えない。したがって、まずは、「自己」ではなく、(自己の外にある)「世界」のどこに問題があるのだろうか、と検討を始めるだろう。
そして、その場合は、解決コストの高さに歎息し、結局「困ったこと」を我慢できるだけ我慢し、やり過ごせるだけやり過ごす、という最悪の「解決策」にはまり込んだりする。
なぜ、「世界」ではなく、「自己」の側に、「困ったこと」の原因があると考えることが難しいのだろうか。
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個人でも、組織でも、はたまた国家でも、順風満帆に日々を過ごせることは、そう滅多にない。大抵は、なにかしら「困ったこと」に頻々として遭遇し、それとの悪戦苦闘の連続というのが世の実相だと思われる。
当然、誰しも「困ったこと」に逢着すると、その解決を意図する。そして、考えたり、自分なりに幾つか解決策を試みたりする。
すると、その「困ったこと」の「困った」度が、当の解決策の効果によって低減する場合がある。また、その「困ったこと」自体の何らかの時季性により、自然に「困った」度が低減して、とりあえずやり過ごせるようになったりする。
ここで試みるのは、この「困ったこと」からなにか教訓を引き出せないか検討することである。
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いま、入学試験の真っ盛りだ。日本各地で、この瞬間にも、悲喜こもごもの人生の一幕が繰り広げられているのだろう。
さて、自分のこども時代を振り返ってみて、親に「勉強しなさい。」といわれた経験のない者はまずいまい。
かくいう私はというと、うーん、母親や父親に 「勉強しろ。」と言われた記憶がとんとない。別に、黙々と自分で勉強していたわけでもないし、成績が良かったわけでもない。「過去は常に美しい」ので、自 己正当化・美化の心理機制が働いて、記憶が無意識に検閲されているかも知れないが、まあ、なかったような気がする。
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前稿の問題は、所属学部の違いにも起因する可能性はある。
そもそも速水融自身が、慶応大学経済学部で野村兼太郎の薫陶を受けており、経済学、歴史学、史料学の修練を経た研究者であった。従って当然の流れとして Hayami school は経済学部をその根城とすることになる。
それに対して従来の、文献学的という意味での実証主義的日本史学は、元来が文学部を基盤として学界を作ってきている。
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