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2008年2月22日 (金)

ヘルプとサポート

 あるとき、ある場所で、岸辺から川面を見つめている人物Aがいるとする。どうもそのAは空腹の様子で、川を泳いでいる魚が欲しいらしい。そこに、魚釣りの技術と知識を持つもう一人の人物Bが通りかかる。通りかかりのBは、ぽつねんと所在なさげに佇んでいる件(くだん)の人物に親切にも声をかけた。

B「どうしたんだい。」
A「私は魚が欲しいのだ。」
B「そうか。俺は魚の釣り方を知っているぞ。では、私が釣ってあげよう。」

こうして、初め、Bは己の技術と知識を使って、川から魚を釣って、Aに与えた。Aは非常に喜び、腹が減っていたので、すぐ平らげてしまった。そこで、またAは言った。

A「もっと魚が欲しい。」
B「そうか。では、もう一匹。」

Bは、Aの言葉と行動を見て、自分の行為が他人の役に立っていることに嬉しくなり、俄然張り切って、二匹目の魚を釣り、Aに与えた。Aは喜び、あっという間に、再び平らげてしまった。そこで、またしても言った。

A「私はまだ魚が欲しい。」

 これから先のBの反応は様々あるだろう。

 Bが根っから親切な心優しい人物で、助けを求められると黙っておれず、また、他者に頼られることに喜びを感じる人物なら、これから相互依存関係が形成されるかもしれない。

 また、こういう場合もあろう。Bが適度に普通の人物で、さすがに、ムッとし、心の中では「ええ加減にせえよぉ。」と思いつつ、口では「俺も先を急ぐのだ。」と去る場合、などである。で、去ってしまえば、必然的にAは餓死することになる。

 さて、「魚」を求めている人間に、「魚」を与えること。これをコーチングでは、「ヘルプ」と呼ぶ。その反対に、「魚」を求めている人間に、「魚の釣り方」を教えること。これをコーチングでは「サポート」と呼ぶ。

 「ヘルプ」は当人同士は共依存なので主観的には「気持ちよい」が、たいてい外からそれを観察すると「気持わるい」ものだ。

 もしあなたの周辺に「気持わるい」人間関係や、または、あなた自身に「疎ましくも一方で捨てきれない」人間関係があるとしたら、それは十中八九、「ヘルプ」と思ったほうがよい。

 「ヘルプ」関係だと、徐々に互いの欲求が満たされ難くなり、しまいには相互に傷つけあうことになるのが落ち。したがって、できる限り速やかに、「サポート」関係に修正することが肝要である。

 さて、あなたは、他者との関係を、所詮どん詰まりになる「ヘルプ」で作ってしまっていないだろうか、それとも相互に成長できる「サポート」で築いているだろうか。

 「魚の釣り方」の伝え方は、これ、知識理論の暗黙知問題がからむので、別稿ということにしておく。

参照
 菅原裕子『コーチングの技術』講談社現代新書(2003年)、pp.132-135

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コメント

再度の応答有り難うございました。

私は、概念としてコーチとヘルプといったものがわかっているつもりですし、服部正也さんが与えられた環境の中で最善を尽くしたと言うことも見当がつくつもりです。(しかし、ヘルプだったから開発援助がうまくいかなかったという状況認識については、賛成できませんが)。

結論的に言うと、我々の立場の違いを明白に確認したというところでしょうか。

投稿: shakti | 2008年4月20日 (日) 18時48分

shaktiさん、再びコメントありがとうございます。

 コーチングに関して、shaktiさんにいささか誤解があるようです。例えば、

>コーチの方がより高次な理念であり
>他人にノウハウを教える
>新技術の使用方法の伝授ならば、

などの言を拝するに、コーチングをティーチングとしてお考えのように推察します。

 前回の私のコメントにも書きましたように、

「サポートというアプローチが適するのは、顧客がその問題に関して知識を持っているにも関わらず、うまく問題を定式化できず、自分でその問題を解決するできることを自覚していない場合です。」

 つまり、コーチングとは、相手の全く持たない未知の知識を伝授し、いままで可能でなかったことを可能にすること、ではないのです。

 コーチングとは、

「本人の持っている潜在能力を、他者とのコミュニケーション(=コーチング)によって本人に気づかせ、モチベートし、そのことによってその能力を顕在化させ、本人による問題解決へ誘導すること」

なのです。

 魚釣りの喩えが多少、ご理解を屈折させてしまったかもしれません。ただ、あの魚釣りの場合でも、通りかかりのB氏は普通の人間で、ごく普通の魚釣りの方法しか知りません。なにか特殊な名人芸があるわけではないのです。そうであるからこそ、おそらく普通の能力を持っているA氏にも伝授可能で、かつ実行可能なわけです。特別なノウハウがあるわけではないのです。

 実際のコーチングの場面でも、shaktiさんの想定されているような能力をコーチに期待されてしまうと、あらゆる分野、業種のクライアントの悩みをすべてコーチが解決できる知識があることになってしまい、事実上コーチングが不可能となってしまいます。

 コーチは、クライアントの専門に関しては素人でよいのです。「できるはずなのに、できない」悩みを持っている人が相談に行くのがコーチです。「新知識を獲得したい」人は、その個別案件に関する専門家へ相談しなければなりませんので、コーチングを受けるのはお門違いということです。その意味で、法律の素人は、専門家である弁護士に「ヘルプ」を求めることになります。

>開発途上国の援助というテーマにおいては、「魚のつり方を教えよ」という決まり文句は、先進国援助機関の傲慢さを象徴する言い種にすぎない

とは、よい例を挙げられました。日本人で開発問題の名コーチが実在しました。その実録ドキュメンタリーが下記の本です。

服部正也『ルワンダ中央銀行総裁日記』中公新書(1972年)

 服部氏は、「ルワンダ人は無能だ」という現地在住や開発問題担当の白人のレッテル張りを、まず疑ってかかり、自分で実際に検証します。そして、意外にもルワンダ人に商才(ビジネス能力)があることを発見します。そして、基本的にルワンダの経済問題解決はルワンダ人やるべきだし、それが可能であることを確信します。そこからが、服部さんの真骨頂ですが、それは、本書をお読みください。見事な開発問題の古典になっています。amazonには私の書評や他にも数件優れた書評が掲載されているので、参考にされるとよいでしょう。

 残念ながら、現在、品切れですが、古書店をいくつか回られれば、100円コーナーに転がっているでしょうし、amazon のマーケットプレイスでも、ちと高いですが、入手可能です。是非、お手許において読まれることをお勧めします。興味深く、かつ胸打たれるでしょう。それほどよい本です。読まれたら、amazon に感想など書き込まれたらよいと思います。

投稿: renqing | 2008年4月10日 (木) 04時30分

>以上ですが、納得していただけました?

遅くなりましたが、ご回答有り難うございました。
コーチとヘルプという概念の違いはそのとおりだと思います。コーチの方がより高次な理念であり、そういう仕事が繁盛するに越したことはないでしょう。

しかし、そんなにうまい話が現実にあるのでしょうか。「自立」というのは、簡単に実現出来るモノなのでしょうか。言い換えれば、ノウハウを短期間に要領よく伝授することは出来るのでしょうか、また、そもそも他人にノウハウを教えることの出来るプロ・コーチが存在しうるのでしょうか。コーチというのは、限定された特殊な条件のもとでのみ可能なのではないでしょうか。(簡単にコーチできるものであれば、コーチ業が成り立たなくなる可能性がでてくる)。

こんなふうに疑ってかかってしまうのは、開発途上国の援助というテーマにおいては、「魚のつり方を教えよ」という決まり文句は、先進国援助機関の傲慢さを象徴する言い種にすぎないからです。

ただし新技術の使用方法の伝授ならば、コーチ業的な理念はかなり有意義だと思います。

投稿: shakti | 2008年4月10日 (木) 01時48分

shakti さん、コメントありがとうございます。

お尋ねの件を分析すると、以下のような、幾つかの疑問に分解できそうです。

1)コーチングをビジネスにしているなら(著者の菅原氏がそう)、サポートが成功すると、当の顧客はいずれサポートを必要としなくなり、商売あがったり、になってしまうのではないか。

2)華僑商人や印僑商人が、ヘルプでなく、サポートをしてしまったら、原住民を搾取できなくなってしまうのではないか。

3)弁護士業がヘルプでなく、サポートしたら、顧客がいなくなり、商売あがったりになるのではないか。


 私の回答

1)菅原氏が、Aさんのコーチングに、サポートを通じて成功し、例えば4回ワンセットのコーチング契約で終了してしまう、とします。この時、菅原氏は困るのか。
 いえ、困りません。
 まず第一に、コーチング業の評価は、いかにコーチングの依頼者をコーチングの必要のない状態にまでもっていけるか、です。すると、菅原氏がまずクライアントAさんの自立に短期間で成功したということは、腕のよいコーチという評価を高めるので、その評判で他の顧客が来ます。売り上げ拡大です。
 第二に、一つのコーチングでうまく問題解決でき、満足した顧客は、別の問題解決に迫られれば、必ず菅原氏に再びコーチングを依頼します。サービスに満足した顧客はリピーターになります。

2)悪質な華僑商人や印僑商人なら、サポートしません。粗悪品を売り続けることでしょう。ま、そのうち、現地で暴動があれば、焼き討ちされますが。明治期、日本人商人が北海道アイヌや台湾先住民に対してやっていたことも同じです。

3)弁護士業は、基本的にサポート業ではなく、問題ごとのヘルプ業です。
 サポートというアプローチが適するのは、顧客がその問題に関して知識を持っているにも関わらず、うまく問題を定式化できず、自分でその問題が解決できることを自覚していない場合です。
 弁護士業は、実定法体系という非常に複雑な事柄に関する知識を持ち、依頼者の問題を法的に定式化し、それに法的解決策を与え実施できる能力を有した上で、弁護士法でその業務を法的に許可された者の業務です。したがって、本質的にサポート業ではなくヘルプ業です。ですから、サポートの実例としては適切ではありません。
 ただし、弁護士業もサービス業の側面を持ちますから、今後弁護士過剰の時代となれば、コーチングにも優れた弁護士のほうが商売繁盛なるであろうことは、火を見るより明らかです。

 以上ですが、納得していただけました?

投稿: renqing | 2008年3月14日 (金) 13時21分

こんにちは。

僕は、この魚釣りの技術を教えるという喩え話は、菅原さんは本の中で、どういうつもりで書いたのでしょうか。

ヘルプでなくサポートが可能になったら、コーチがコーチ料金を請求出来なくなってしまうように思います。華僑や印僑が、原住民を搾取できなくなってしまいます。弁護士の仕事が無くなってしまいます。本当に、そんなことが出来るのでしょうか? 

とはいえ、お金のやりとりがない対等な関係では、一種の理想の姿ですね。

投稿: shakti | 2008年3月13日 (木) 13時57分

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