「困ったこと」から考える(2)/ Thinking from the 'trouble' (2)
(1)より承前。
つまり、「困ったこと」の起源には、内部的な要因と、外部的な要因とがあるだろう、という話だ。
内部的要因は、当然、それに対処するのに制御可能性の高い手段を見つけやすく、比較的低コストで削除でき、外部的要因はその逆で、相対的に高い対処コストが必要と予想される。
ただし、ここからが難しい。
たいていの普通の人間や組織は、「困ったこと」が生じたとき、その原因が己のどこにあるのだろうか、とは、なかなか考えない。したがって、まずは、「自己」ではなく、(自己の外にある)「世界」のどこに問題があるのだろうか、と検討を始めるだろう。
そして、その場合は、解決コストの高さに歎息し、結局「困ったこと」を我慢できるだけ我慢し、やり過ごせるだけやり過ごす、という最悪の「解決策」にはまり込んだりする。
なぜ、「世界」ではなく、「自己」の側に、「困ったこと」の原因があると考えることが難しいのだろうか。
それは、自分の「失敗」を認めることになるからだ。世に、己の「失敗」を、素直にサクッと認められる人間は、そんなに多くあるまい。だから、自分の「失敗」がらみの「困ったこと」は、何度でもゾンビーのように甦りやすい。自我の傷つきを恐れるあまり、「失敗」の存在を否認し続けてしまい、問題の所在を認識できないのだ。
「子どもが勉強しない(できない)」という「困ったこと」は、この典型例である。親からすれば、子どもに要因があると考えがちである。いわく、(自分の子ども時代と比べて)「根性がない」とか、いわく、(自分は子どものころ学業優秀だったが)「配偶者の遺伝子に問題があったかもしれない」とか。
ところが、「子どもが勉強しない(できない)」という「困ったこと」には、親が己のために勉強を強いる場合がしばしば見られる。無論、我が子の学業成績が優れていれば、親として嬉しいだろうし、その反対ならば、いささか悲しまざるを得ない。ところが、「子どもが勉強しない(できない)」ことに腹を立て、そのことで子どもを非難する親が中にはいる。これは、子どもを己の自我の一部とみなし、己が傷ついたことに腹を立てているに過ぎない。
これでは、子どももやってられんだろう。「自分は自分だ」と思春期の子どもたちは思う。そうなると、ストライキを起こす。これが、「うちの子は、なかなか勉強しない」場合の一つの大きい要因と推測される。
そして、この、どうにも「困ったこと」の解決策は実に簡単だ。子どもの独立した人格を認めてしまうことである。「お前にはお前の人生があって、勉強するかしないかは、お前が選び取っていくものだ」と、勉強に関する干渉を全面的にやめてしまえばよいだけである。
ただ、これもなかなか大変な業に近いかも知れない。これまで、己の一部と見なしていたものを、そうではない、と認めねばならないからだ。しかし、これとて、人類が数千年間繰り返してきたことでもあるのだ(たぶん)。だから、難しいかもしれないが、できないことではない。
子どものある時期に、親がこの関門を潜り抜けておかないと、手を変え品を変え、「困ったこと」が、執拗低音として繰り返し、表面化する危険性が高い。
世の親の方々、子どものためだけでなく、ご自身のためにも、ご用心あれかし。
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コメント
わたしは大船にのった船長である。前方に小型漁船がいて通路を邪魔している。
1 なにもしない(。。ぶつけて相手を沈める、かもしれない。)
2 警笛を鳴らしてどかせる
3 みずから迂回して避ける
過去、一世紀以上、1が有効であった。。のだが。
ひとをつねって、我が身の痛さを知る、というバヤイもある。
投稿: 古井戸 | 2008年2月26日 (火) 09時47分