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2008年2月28日 (木)

「石高制」ってなに?

古井戸さんのコメントがらみから。

>米自体が貨幣の役割

 はい、そうだと思います。そしてこれには重要な理論的問題が秘められています。

 かつて、カール・ポランニー(Karl Polanyi)は、貨幣を論じて、多目的貨幣 all purpose money と、特定目的貨幣 special purpose money という概念を提出*しました。

 つまり、現代では、貨幣を論じる場合、支払い、標準、交換手段という三大機能が指摘されるが、歴史的にみて、この三つの機能は、すべて別々のモノ object が担っていた。すると、現代の多機能の貨幣を「多目的貨幣 all purpose money」と呼ぶならば、歴史的に先行する前近代社会において存在した貨幣は、「特定目的貨幣 special purpose money」と呼ぶべきだろう、という訳です。

 日本の学者は、西洋の(Polanyiはブタペスト出身ですから、西欧ではありませんが)概念導入にはやけに熱心ですが、それが日本の(史的)文脈でどのような事柄を表すのか、あまり考えません。今回がその良い例です。

 織豊政権、および徳川政権が石高制を確立した、ということは、支配者(武士)への納税用貨幣、および、支配者間の支払い貨幣は、「米」を使うこと を意味した。つまり、「米」が統治の象徴性を帯びた、いわば本位「貨幣」になったことを意味するわけです。ですから室町後期から戦国、徳川と、銭遣い(明 からの渡来銭が中心)を中心とする貨幣経済化が進んでいたのに、それが「米」という「現物」経済に逆戻りしたのはなぜか、という問題の建て方は愚問だった ことになります。「米遣い」だろうが、「石高制」だろうが、「米」という貨幣によって、統治の経済的根幹を固めたことは明らかだからです。

 それは、また対外的独立(特に、大陸の中国王朝)からの独立をも意味します。それまで、日明貿易を通じて渡来銭という形で、中国王朝から貨幣供給を仰いできたが、それを国内供給できるモノ object に切り替えたことをも意味するからです。

 石高制については、より基本的な大問題がありますが、それは次稿に。

*カール・ポランニー『経済の文明史』日本経済新聞社(1975年) 、第三章「貨幣使用の意味論」、参照

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