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2008年2月28日 (木)

武士と変動相場制(2)

古井戸さん、コメントありがとうございます。

>米自体が貨幣の役割

これは大事な論点なので、別記事にします。

>米で給料をもらう武士が相場、と睨めっこ、して何ができるのでしょうか?

これについては、私が語るより、参考文献から引用しましょう。

「 したがって、猪山家は俸禄米を銀にかえて持ち帰ったものの、この銀貨だけでは買い物ができない。銀を売って、銭を買わなければならない。また、金沢は「銀遣い」だから中納言様から拝領した金貨の小判も使えない。金貨は銀貨か銭に両替しなければならないのである。実際、猪山家は一年間に二十七回も貨幣を両替している。つまり、月に二回のペースで両替をしていた。サムライは金勘定をしないイメージがあるが、そうではない。生活が米の換算レートに左右されていたから相場にも金融にも鋭い目をもっていた。だから、明治になって銀行員になったものは意外にも旧武士身分が多い。」
前掲、磯田道史『武士の家計簿』新潮新書(2003年)、pp.97-98

 相場は日々変動しますが、トレンドというものがある。もし、米相場が上がりそうなら、俸禄米の現銀化(=売却)を最小限に抑え、できるだけ米相場(対銀相場)のピークに近いところまで保持しようとするでしょうし、キャッシュとしての銀も銀相場(対銭相場)をにらみながら、上がるトレンドと判断するなら銀のまま「待ち」、下がるトレンドなら「売っ」て銭にする、ということを月2回のペースでやっていた、というわけです。

>俸禄を失った武士は教員や警察、官吏になった

 私は、「武士は銀行員になった」といっているのではなく、「銀行員のなり手は大部分が武士だった」といっているのですが・・・、違いが、おわかりですか?

>下級武士が騒いだ。。のも海外からの強圧が原因でしょう。外圧がなければ、倒幕の必要などさらさら無かった。

 私は、ここで明治クーデタの原因を云々しているわけではなく、それを実質的に担った人的資源はどこの身分・階層から供給されていたのか、について穿鑿しています。これを検討する際に、F.ボルケナウ*や竹内啓**などが論じている文脈、換言すれば「数量的世界観」を身に付けた連中(=中下級武士)が、明治後に出現する「近代資本主義」に、徳川後期においてすでにいわば前適応していたという歴史的文脈を指摘しているわけですね。よろしいでしょうか。

*フランツ・ボルケナウ『封建的世界像から市民的世界像へ』みすず書房(1965年) 、参照。
**竹内啓『統計学と経済学のあいだ』東洋経済新報社(1977年)、参照。

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