日本初期近代(徳川期)における「勤勉革命 Industrious Revolution 」(1)
■「勤勉革命 Industrious Revolution 」とはなにか
江戸時代の農業生産力の上昇は、間作・裏作や二毛作による土地利用頻度の高度化という点ではイングランドに似ていたが、経営規模の縮小、家畜利用の減少という点では正反対の方向に向かっていた。労働節約的ではなく、牛馬の代わりに家族労働力を惜しみなく注ぎ込む、労働集約的な発展経路を進んだのである。
このような変化を速水融氏は「勤勉革命」(Industrious Revolution)と呼ぶ。密植に耐える水稲農耕が土地節約的農業を可能にしていたという生態学的な条件を前提にして、人口密度が高く、耕地・人口比率が低かったことが、土地利用の高度化と投下労働量の増大からなる労働集約的農業を生んだのである。産業革命 (Industrial revolurtion)の労働節約的な性格と対比させて「勤勉」を強調したのであるが、その内実は、長時間の激しい労働であった。
鬼頭宏『文明としての江戸システム』日本の歴史19、講談社(2002年)、p.275
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