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2008年3月

2008年3月29日 (土)

日本初期近代(徳川期)における「勤勉革命 Industrious Revolution 」(1)

■「勤勉革命 Industrious Revolution 」とはなにか

江戸時代の農業生産力の上昇は、間作・裏作や二毛作による土地利用頻度の高度化という点ではイングランドに似ていたが、経営規模の縮小、家畜利用の減少という点では正反対の方向に向かっていた。労働節約的ではなく、牛馬の代わりに家族労働力を惜しみなく注ぎ込む、労働集約的な発展経路を進んだのである。
 このような変化を速水融氏は「勤勉革命」(Industrious Revolution)と呼ぶ。密植に耐える水稲農耕が土地節約的農業を可能にしていたという生態学的な条件を前提にして、人口密度が高く、耕地・人口比率が低かったことが、土地利用の高度化と投下労働量の増大からなる労働集約的農業を生んだのである。産業革命 (Industrial revolurtion)の労働節約的な性格と対比させて「勤勉」を強調したのであるが、その内実は、長時間の激しい労働であった。
鬼頭宏『文明としての江戸システム』日本の歴史19、講談社(2002年)、p.275

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2008年3月27日 (木)

変ることの難しさ

「・・・。先入観は、それを植えつけた人々にも、そもそもこうした先入観を作りだした人々にも、いわば復讐するのである。こうして公衆の啓蒙には長い時間がかかることになる。

 おそらく革命を起こせば、独裁的な支配者による専制や、利益のために抑圧する体制や、支配欲にかられた抑圧体制などは転覆させることができるだろう。しかし革命を起こしても、ほんとうの意味で公衆の考え方を革新することはできないのだ。新たな先入観が生まれて、これが古い先入観ともども、大衆をひきまわす手綱として使われることになるだけなのだ。」

カント「啓蒙とは何か」pp.13-14、永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫)所収

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2008年3月26日 (水)

リンゴ8個とミカン6個(2)

 さて、前回は「引き算」だった。実はあれから「足し算」を小6の男の子にやってもらっていた。

 「あのさ、この前ね、小1の女の子にやってもらったんだけど、ちょっと考えてみてくれない。リンゴ8個とミカン6個を足すと何個になる?」

 相手は、不審な顔をしていたが、素直に、

「14個。」

と答えてくれた。そこで、私は畳みかける。

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2008年3月24日 (月)

儒家思想における voice or exit

 Albert O. Hirschman の提起した、社会集団を考察するための、voice or exit  という二分法は、普遍的な分析装置である。

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2008年3月21日 (金)

「合理性の限界」と直観主義/bounded rationality and Intuitionism

 bounded rationality(限定合理性=合理性の限界) と intuitionism(直観主義、この場合は数学的直観主義を指す)は、ウラ、オモテの関係になると思うのだが、今の私の、少々疲れた頭脳と体力では、考え抜けない。

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2008年3月20日 (木)

リンゴ8個とミカン6個

 たまたま、小学校1年生の女の子の算数の宿題をみる機会があった。

 その第1問に、

「いま、リンゴが8ことミカン6こがあります。どちらがなんこおおいですか。」

とあった。解答欄を見ると、

 (しき)8-6=2   (こたえ)2こ

と、書けている。ただ、問題には「どちらが」とあるので、「どっちが2こ多いの?」と尋ねると、どうもわからない様子。

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2008年3月16日 (日)

共和制と「法の支配」

 某MLで共和制のことが話題になった。

 以前から、すっきりした語義がないか、と探してはいたのだが、改めて探すことにした。その某MLでは、共和制のキモは、「法の支配」であると指摘されていた。なぁーるほど。その線で探してみようと思い立った。すると、人間、考えればなんとかなるもので、以前読んでいた、カントの著書が心に浮かんだ。あぁ、これ、これ、と早速飛びついたら、案の定ありましたね。

 それが、下記である。

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2008年3月13日 (木)

カテゴリー「科学方法論」を作成

 このblogでは、私の関心から、社会科学にしろ、自然科学にしろ、方法論関連の記事を比較的多く書いてきた。

 そこで、それらを統一的に分類するカテゴリーを思案することにした。最初、「科学哲学」としようかと考えたのだが、そうすると社会科学に関連がないと思われる蓋然性もあるかと思い直し、結局、表題のように「科学方法論」とした。

 ご参照戴ければ幸甚。

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2008年3月 8日 (土)

「石高制」ってなに?(4・結語)

前稿よりの続き。

 私は、戦国期の最新通史として池上裕子氏の著作を読んだのだが、前回記事の箇所を読んで仰天してしまった。確かに、池上氏自身が少数派だとは書いている が、事はかつての「太閤検地論争」を含めて、太閤検地や徳川期の「石高」の前提をすべて根底から揺るがすものだ。私が注目評価する、日本近世経済史研究を 一新した Hayami school の研究蓄積でさえその例外ではない。彼等も「石高」を生産高と認識しているのだから。

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2008年3月 7日 (金)

「石高制」ってなに?(3)

 前稿からの続き。

 
 池上裕子氏(成蹊大)の議論はこうである。

 戦国期から太閤検地期における史料での斗代の使用法をみると、

 斗代 = 本年貢 + 加地子(一種の小作料)

となっている。「斗代」を「年貢」と表記している史料もある。こういうことが一般的になると、これらを負担する側でも、取る側でも、両方込みで、「年貢」「斗代」とみる意識が成立する。

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2008年3月 3日 (月)

「石高制」ってなに?(2)

 前稿からの続き。

 いま、自分でもあまり明確になっていない事を書こうとしている。したがって、論にぶれや乱れがあると思うので、そのように感じた方がいらしたら、ご指摘いただければと思う。

1)用語の整理
 まず、用語の整理からしておこう。以下、語義はすべて、『岩波日本史辞典』(1999年、第1刷) からのものである。

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