「石高制」ってなに?(3)
前稿からの続き。
池上裕子氏(成蹊大)の議論はこうである。
戦国期から太閤検地期における史料での斗代の使用法をみると、
斗代 = 本年貢 + 加地子(一種の小作料)
となっている。「斗代」を「年貢」と表記している史料もある。こういうことが一般的になると、これらを負担する側でも、取る側でも、両方込みで、「年貢」「斗代」とみる意識が成立する。
それを念頭において秀吉の検地掟を読むと、石盛が斗代を定めたものでることが明示されている。その用法からみて、太閤検地の斗代が以前の斗代と密接なつながりを持ち、それを継承した場合もあったことが知られる。
以前の斗代は生産高ではない。とすると太閤検地の斗代だけが同じ文書の中で生産高を意味するとはいえない。
「秀吉の意識において、太閤検地の斗代は現実に当時の社会で成立していた斗代を元に設定した、本年貢+加地子から成る数値であり、新しい年貢収納の基準となるべきものであった。その意味で、斗代の意味内容は荘園成立期や中世の検注で設定された斗代のそれと同質であり、そこに生産高という意味がなかったと同じように、秀吉にも生産高を把握するために検地をするという意識はなかった。」
池上裕子『織豊政権と江戸幕府』日本の歴史15、講談社(2002年)、p.187
すると問題は、実態がどうであれ、支配者側、被支配者側、双方の意識において「石高」が米の生産高だったのか、米という「貨幣」単位で表現された課税所得額だったのか、ということになろう。
時間がないので、また続く。
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