「石高制」ってなに?(4・結語)
前稿よりの続き。
私は、戦国期の最新通史として池上裕子氏の著作を読んだのだが、前回記事の箇所を読んで仰天してしまった。確かに、池上氏自身が少数派だとは書いている
が、事はかつての「太閤検地論争」を含めて、太閤検地や徳川期の「石高」の前提をすべて根底から揺るがすものだ。私が注目評価する、日本近世経済史研究を
一新した Hayami school の研究蓄積でさえその例外ではない。彼等も「石高」を生産高と認識しているのだから。
このような重大な指摘が、日本最大の出版社である講談社の、最新の日本通史に書かれているのに、少なくとも学界の外野からチラチラのぞき見ている私には、日本近世史学界において、かつて太閤検地論争を凌ぐような大論争が発生したという噂は聞こえてこない。
池上氏説が間違っているならそれでもよし。正しいのならそれでもよし。とにかく、白黒つける専門家の所見が欲しい。
実態としては日本初期近世の「政治算術」のレベルに左右されて、脱漏leakage は不可避であるし、気候変動に対する農テクノロジーの脆弱から、年々のブレの大きさもあったろう。だから、実質、五公五民どころか、九公一民もあったかもしれないし、逆の一公九民でさえあったかもしれない。ただ、統治者、被治者相互の意識(意味世界)として、「石高」が、生産高だったのか「課税所得額」だったのかは、根本的に異なる事態だと考えざるを得ない。
このような深刻な問題提起がなされていて、(実りある)論争さえも、おきていないことは、私には理解不能と言うしかない。いったい、どうなってんだろうか? ここら辺の消息をご存知の方がいらしたら、ご教示戴きたいと切に願うものである。
※本シリーズの補遺へ
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