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2008年4月 6日 (日)

17世紀科学革命と「紀律化」

ドイツの歴史学において「紀律化」の問題として扱われる過程が、トゥールミンによって別の側面から、十七世紀的合理主義の形成と展開の問題として論ぜられていることは、明らかであろう。トゥールミンは「紀律化」の過程を科学史と連動させ、「紀律化」に伴う「コスモポリス」観の転換を跡づけているのである。
村上淳一『仮想の近代 - 西洋的理性とポストモダン -』東京大学出版会(1992年)、p.152

 村上氏も述べるように、このトゥールミンの記述はなかなか示唆的である。ここからいくつかの問題群を呼び出せるのだが、それにはしばらく時間を戴くこととしよう。

〔注〕引用文中、トゥールミンと述べているのは、下記の文献である。
スティーブン・トゥールミン『近代とは何か』法政大学出版局(2001年)
Cosmopolis: The Hidden Agenda of Modernity, 1992

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