待つ身は辛い
「最後に折原浩氏に言っておこう。貴兄はこの本を見ると、羽入は自分の批判には一切答えずに、また別の本を出した、無責任極まりない、などと言ってくるんであろうが、それは誤解であり、貴兄がそこで苛立つ必要は何らない。本書を書き始める前の段階で、貴兄への反駁書『学問とは何か -「マックス・ウェーバーの犯罪」その後- 』と題した完成稿を、筆者はミネルヴァ書房にすでに提出しており、現在校正中である。本書は、右記完成原稿の提出後に書いたものである。筆者の心づもりとしては、貴兄への反駁書が出た後で本書を出したかったのであるが、校正の分量の差がケタ違いで、出版の順序が結果的に後先になってしまったものである。次に出る本で貴兄の論難に対しては逐一反駁してあるので、楽しみに待っていらして頂きたい。
二〇〇七年十月十八日 世田谷区の自宅にて 筆者」
羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの哀しみ 一生を母親に貪り食われた男』PHP新書(2007年)、p.205、あとがき、より
それから、はや半年。いまだにミネルヴァ書房から出版されていないし、そのHPに予告らしきものはなし。はて、いかがなされたものだろうか。
そうこうしているうちに、上記の羽入氏本とほぼ同じ視点からのものが出版されているのを知った。下記。
クリスタ・クリューガー『マックス・ウェーバーと妻マリアンネ―結婚生活の光と影 』新曜社(2007年12月)、德永恂・加藤精司訳
書店で、德永恂氏の手になる「あとがきに代えて--マックス・ウェーバーの詩と真実」をサクッと立ち読みしただけだが、アイデアは同じで、ドイツ人女性 (作家らしい)だけにいろいろ調べていて、羽入氏のものよりは証拠は挙がっているようだ。現在の私は、マックス・ウェーバーの「家政史」やら、彼の「詩と真実」にあまりかかずられない状況なので、読まれた方がおられればご教示戴けると、実に嬉しい限り。
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