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2008年5月 3日 (土)

「文明」再考

 以上のようにチベットでは仏教は深く根を下ろし、社会的な拡がりを持ち民衆の間に浸透して行くとともに、高い哲学的発展をとげ、ここに世界で特異なチベット仏教、俗にいうラマ教が形成されたのである。この意味で、・・、チベットは仏教が現在にいたるまで常にその文化の主流を形成して来た唯一の国である。このチベット仏教はチベット内部のみならず、十三世紀から、特に十六世紀以来蒙古に伝播し、ヒマラヤ山中の小国であるブータン、シッキム、そしてネパールの北部をも含む内陸アジアの中部にチベット仏教圏を形成している。また、今はほとんどなくなってしまったインド仏教の原典の忠実な翻訳の数々をもつチベット仏教は、仏教学においても重要な位置をしめている。

 このような歴史的・宗教的背景をもつチベット人に接してみると、日本人などには見られないほどの強い宗教的バックボーンがあることを感ずる。それはラマ 僧ばかりでなく、乞食をしながらインド巡礼にくるチベット人にも感じられるものである。これはヨーロッパのキリスト教諸国、モスレム教のアラブ諸国、ヒン ドゥ教のインドの人々に共通する宗教に鍛えられた精神の強さである。
 日本人が高度の文化をもち、その知識においては比類ないほどのすぐれたものを持ちながら、強い精神的バックボーンを持たず、常に落着きがないのは、いずれの宗教、哲学も強い根をおろさず、また日本独特の、道徳までも規制する宗教的・哲学的発展がなされなかったためではなかろうかと、チベット人に接したと きに感じたのである。  (1)

 文明(civilization)というと、一般には下記のような広辞苑的意味ととられることが多い。

人知が進んで開けた世の中。特に、生産手段の発達によって生活水準が上がり、人権尊重と機会均等などの原則が認められているような社会、即ち近代社会の状態。⇔蒙昧・野蛮。 (2)

 しかし、中根氏は、そういう現世的な事柄やモノよりは、現世を超えたものへの確信やら志向を、文明という言葉で示唆しているようだ。

 私はアッサムの未開民族の地域を旅して、ヒマラヤに入ったときほど、高度な宗教政治組織をもつ社会というものがいかに、それを持たない社会と異なるものであるかを痛感したことはない。たとえ両者ともに私たちの生活水準から見れば、あまり進まず未開に見えようとも、そこには大きな違いがある。この違いをうまく説明することはなかなかむつかしいが、ここでチベット人の表現を借りよう。チベットはかつて仏教をもたなかった人々(彼らは野蕃人とよぶ)が仏教を知り、その信仰に入ることを、野生の動物を家畜化するという表現と同じ語を使う。たしかに私の観察をもってしても、一言にしていえば、アッサムの未開民族を野生の動物にたとえれば、ヒマラヤの民族は、ヒンドゥ教徒やキリスト教徒とともの家畜に相当する。アッサムのジャングルからヒンドゥ教徒、あるいは仏教徒のいる地帯に入ったときに感ずるいいしれない安堵感といったものは、ぴったりそれに当る。もうここでは私の常識を逸して、意味なく殺されるというようなことは絶対に起こりえない、という、そして道は外の世界に通じているという解放的な安堵感である。封鎖的な未開民族の社会にいるときは、自分の育った社会的習慣、価値観をゼロにして、彼らのものに従わなければならない。それを不幸にして知らずに、彼らの心の動き、慣習の掟に反して触れようものなら、私はたちまちにして、彼らのたけり狂う本能の餌食にならなければならない。少しも休めることのできない神経と、想像力を使っていなければならない緊張感が、常に底流となって私の中で流れつづけていた。
 しかし、ヒマラヤは違う。仏教によって人々の本能はためられ、コミュニケーションの可能性によって、他の社会 -自分たちと異なる価値、習慣をもった- の人間がいるということを人々は知っている。精神は陶冶され、知識は比較にならないほどその量をましている。ヒマラヤの人々が神秘で未開に見えるという人たちは、その人たちにチベット仏教や、その社会に関する教養のない故である。日本の、東洋の文化を少しも知らないヨーロッパ人が日本人を気味悪く思うのと同じことである。(3)

 チベット仏教、ヒンドゥー教にも造詣の深い中根氏の「文明」へのアプローチはこうである。

 高度な宗教がその社会に定着したということは、未開から文明への重要なメルクマールとなる。私たちは十九世紀以降の西欧文明の飛躍的な発展に強く影響され、ともすれば文明とは近代ヨーロッパに象徴されるものと思いがちで、欧米が文明国であり、アジアはそうでないようにさえ思っているが、その一つ奥に、こうしたところに人間社会の未開と文明がはっきり見分けられることを忘れてはならない。特に長い人間の歴史において、人間の精神の成長過程を思うとき、この問題は大きな重要性をもってくるのである。 (4)

 中根氏は、開発問題においてもこの視角の重要性を説く。

 アジア・アフリカ問題を取り扱うときにもこうした見方は、複雑な諸現象を理解する助けにもなろう。アジアの中でも、早くから中国、インドの高文化の伝播した蒙古、チベット、ヒマラヤ、東南アジア、インドネシアなどは、フィリッピン、その他太平洋の島々、アフリカなどから、その文化、社会の質が大きく区別されなければならない。後者においては、いわゆるヨーロッパ諸国が外に発展し、征服につづく植民政策に伴ってキリスト教文化がプリミティヴな社会に直接浸透したのであり、高文化との接触の時期は前者に比して驚くほどおそく、その接触の仕方も非常に異なっている。アジアを考えるとき、この大きな相違が日本人ばかりでなく、欧米の人々にもあまり気がつかれていないようである。
 高文化の伝播及びその受容ということは、社会を単位として行われてはじめて実を結ぶものである。宗教においても、宣教師が未開民族地帯に入って行って、その社会の二、三人の個人がキリスト教徒になったとしても、社会全体がキリスト教文化の複合体としてそれを受容しないかぎり、その個人の底流には依然、未開のままの地が残されているのである。その社会の過半数の人々が受容し、何世代も、何百年もそれが行われて、はじめて定着するものである。 (5)

 したがって、高文化を通じて civilized された ethos ないし personality とは、人間の精神的骨格なのだ。

 また、仏教やヒンドゥ教に培われた文化というものが、いかに高度な、そして強力なものであるかは、次の例によってもよくわかる。インド辺境にはキリスト教の宣教師たちが活躍しているが、アッサムの、ある未開民族の社会では、十年間に百名あまりのキリスト教改宗者を出したというのに、ラマ教徒やヒンドゥ教徒のいるヒマラヤでは、その熱心な伝道にもかかわらず一人の宣教師が三十年間にたったの二人をキリスト教徒にしたという状態である。 (6)

 その一方で、中根氏は、たとえば爛熟したベンガル文化の地、カルカッタにおいて、インドの文明的分厚さをこのようにも表現する。

・・。だが、実際この激しい熱帯で誰がセンチメンタルな情緒的な恋などというものができるだろうか。愛欲の地ベンゴールにふさわしく愛欲にふけるか、理性に強く支えられた友情をつづけるか以外に、とても男女の関係は成立しない。原色に彩られた強烈な酷熱の下では、人間の堕落も聡明さも極限を露骨に示して来る。ガンジーやネールが出るとともに、臭気芬々の地獄のすごさを思わせる人間もいる。人間の聡明さ、強さがインドに生きるうえにどんなに大切なものか、恵まれた日本などでは想像もできないことである。私の友だちだったドイツの女のように、研究を目的としてインドに来ながら、ついに泥沼に沈んでしまったような若い外国人の女性の悲劇は、カルカッタに山積している。 (7)

 この中根氏の書は、「文明」を再考する上でも、若き女性社会人類学者の4年間におよぶ異国フィールドノートとしても、復刊の待たれる隠れた名著である。マックス・ウェーバーの「合理化」概念やノルベルト・エリアスの「文明化」概念 に関心がある向きにも示唆されるところがあると思う。

(1)中根千枝『未開の顔・文明の顔』角川文庫(1972年)、pp.74-76。 それだけに、中国のチベット政策の困難さは、一つの自覚的で、強靭な文明を支配下に置こうとする無理からの、当然の帰結といえる。
(2)広辞苑、第二版(1971年)
(3)中根、同著、pp.80-81
(4)中根、同著、pp.81-82
(5)中根、同著、pp.82-83
(6)中根、同著、p.83
(7)中根、同著、pp.126-127

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