セコイアはいかにして水を100m以上持ち上げるか?
道管の中につまっている水は、結束力が強く、上から強い力で引き上げられても、決して水柱が切れる(気泡が入る)ようなことはない。そしてまた、蒸発によって水を吸い上げる力は、われわれの想像をはるかに越えるものであり、この蒸発を防ごうと思えば、数百気圧の力が必要である。逆にいえば、数百気圧の圧力で押し上げるのと同じ力で、水は吸い上げられる。だから、五〇メートルや一〇〇メートルの木といえども、水は難なく吸い上げられるのである。
瀧本敦『ヒマワリはなぜ東を向くか』中公新書(1986年)、p.111
1998年3月15日付21版
上書は、植物生理学に関する啓蒙書として有名であり、今日まで読み継がれている。例えば、ライ麦の根の全長は620㎞(東京・西明石間に相当)、根毛まで含めるとその長さは11,200km(地球の1/3周)にもなるといったことや、それを実測する研究者の存在を教えられるだけでも嬉しくなる。
ただ、上記の引用部分には、ちょっとした、しかし原理的におかしい箇所がある。
「蒸発を防ごうと思えば、数百気圧の力が必要である。」
ここも今ひとつ素直に理解できないが、水が、ある空間に水蒸気として拡散する際の、吸熱の問題を力の問題に変換するのかな、と理解してとりあえず無視する。問題はこの次である。
「逆にいえば、数百気圧の圧力で押し上げるのと同じ力で、水は吸い上げられる。」
これは明らかにおかしい。水を樹高100mを越えるセコイアのてっぺんまで吸い上げる主役は蒸散力である。これは結局、「植物細胞の浸透圧はふつう5~18気圧」(平凡社世界大百科事典1998、「浸透圧」)であることによる。1気圧で10mほど水は上げられるから、これなら、根圧の2気圧と組み合わせれば、200mの樹高でも水が届く計算となり、セコイアといえども十分といえる。
著者のいう、数百気圧とは、水分子間の水素結合(クラスター)を引き離す際に必要な力のことであろう。中学・高校の理科参考書などに、水の凝集力は200気圧以上、などと記されているものがそれだ。もし植物に水を数百気圧で引っ張り上げる力があるのなら、数千メートルの高さまで水を届けることが可能となってしまう。それは少し変だ。
つまり、例えばセコイアの100mにもなる道管のなかの水柱が、途中で切れずに気泡などが発生しないのは、確かに水の凝集力(水分子の水素結合)によるのであるが、それと、根から100m上の葉っぱに水を引っ張り上げる力とはこの説明の局面では関係がない。水を引っ張り上げる力のメインは既に述べた蒸散力である。ただ、その際水の凝集力のおかげで、水柱が鉄の棒のように切れないね、というだけだ。
先に私がblogで取り上げた竹内氏の著作の件にしても同じ問題が潜んでいるのだが、私が残念に思うのは、ある著書になにかしら trivial な問題が潜んでいるのは避けられないことにしろ、それが20年間も30年間も放置されたままというのは、あまりにも知的に怠惰なことではないか、ということなのだ。
これはまったく trivial な問題ではなく、日本の知識人社会における「人の権威」と「真理の権威」の問題という serious な問題というべきだと思うのだが・・・。今回もあまり共感は得られないかもしれない。つまらんことを問題にするヤツだと思われればそれまでだ。本当につまらん事であれば、ある意味結構なことであると思ったりもする。
※下記も参照されたし。この難問に対する日本植物生理学会の説明のリンクを貼った。
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