待つ身は辛い(2)
ついに、羽入辰郎氏の新著が出た模様。下記↓
羽入辰郎『学問とは何か―「マックス・ヴェーバーの犯罪」その後』ミネルヴァ書房(2008年/7月)
ただ、今、人生多忙につき、この大著に飛びつく時間が不足気味なのと、それを上回るほどこの問題への関心が現在あまり高くないので、もし読まれた方などがあれば、コメントなど戴けると幸甚です。
*参照
待つ身は辛い
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コメント
t-maru さん、どうも。
追加のコメントありがとうございます。
>付記しておくと、澤崎氏が指摘した事項については評価し、「世界最初の発見」という自賛は撤回しています。
そうですか。ならば、それで私としてはとりあえず十分です。
>ただ、私はアマチュアですが、おそらく研究者であられると思われるあなたのことを「素人」扱いしています。
なるほど。
私は、知的な分野では、素人と玄人のカテゴリーより、単純に「知的に面白い成果」か、「知的に面白くない成果」というカテゴリーしかないと思っています。これを分けるのは、真理か否かではなく、それまでの人類の知的成果に something new を付け加えたかどうか、です。したがって、「知的に豊かな間違い」もありますし、「知的に貧しい正しさ」もある。
t-maru氏の今回の一連の成果は、私は語学に疎いので、その当否を適切に評価できませんが、少なくとも「知的に面白い成果」であると思いますし、私にとりそれで十分です。Philippe Arièsに、Un Historien du dimanche 、という一書があります。そういう印象です。
私自身に関しては、「素人っぽいな」と思うことはあるので、羽入氏の評言にさして異論はありません。理学修士の肩書きはありますが、人文学の修行をしたわけでもなし。どのような問題にも、常に、別の視点、別の切り口を志向するので、私が一書を物したとしても、この「素人っぽ」さは、抜けない。ま、仕方ないかな、と。少なくとも、「頭の悪そうな」仕事はしたくない、というだけです。
>おそらく本書以降、羽入をまともな学者として扱う人はいなくなるでしょう。
羽入氏個人が学界から消されても、彼の書いたものは残る。後世、そこに「面白さ」を発見する人物が出ないとも限りません。知的成果とは、時代と場所を超えた共同作業で、それ以外にありようがない、といったところでしょうか。
投稿: renqing | 2008年7月23日 (水) 07時50分
付記しておくと、澤崎氏が指摘した事項については評価し、「世界最初の発見」という自賛は撤回しています。
ただ、私はアマチュアですが、おそらく研究者であられると思われるあなたのことを「素人」扱いしています。
また、それ以外に批判者に対して、事実に基づかない中傷誹謗のオンパレードです。おそらく本書以降、羽入をまともな学者として扱う人はいなくなるでしょう。
投稿: t-maru | 2008年7月23日 (水) 00時42分
t-maru さん、どうも。
ご指摘、ありがとうございます。本屋でのぞいてみます。
投稿: renqing | 2008年7月21日 (月) 05時55分
失礼、リンクはこちらです。
http://www.shochian.com/blog/index.php?itemid=1345
投稿: t-maru | 2008年7月21日 (月) 03時27分
ご無沙汰です。
澤崎氏への言及はP.192以下にあります。
私は自分の関係する部分についての再々反論を上記のリンクに記載しました。
投稿: t-maru | 2008年7月21日 (月) 03時26分