若い衆に入ったら、子供心でいるんじゃありません(追記20200622)
下記の本がとても面白い。
本書は、近世日本の教育・社会史の専門家が、その三十年来のフィールドワークの歩みを総決算したもので、内容はすべて著者自身の調査・研究に基づくという。興味深く、新書ながら力作であり、名著と評してよいと思う。
特に印象深かったことは五つある。
1)第2章で大原幽学を引き、当時の村の“荒廃”について触れている。しかし、それは、安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』平凡社ライブラリー (1999)から印象付けられるような、経済的荒廃=貧困というイメージでは全くない。むしろ、豊かさ故の心の荒廃とでもいえるようなものである。言い換えれば、「万事この世はカネ」といった、心のよりどころをなくした状況を指している。“荒廃”は“荒廃”でも、全く逆だ。
2)同じく、第2章で触れている、若者組のこと。本記事の表題は、その年、十五歳になる少年が、若者組へ入る際朗唱する条目の一部である(p.110)。これが力強く簡潔で、不思議な感銘を受ける。この若者入りの儀式※は、村の大きな年中行事の一つである。つまり、それは村じゅうの大人から子どもたちにまで、皆に祝福される initiationなのである。徳川期の村には、こういった共同体による成長する子どもへの祝福の儀式が必ず設定されていた。羨ましいことだ。
※百姓と朝廷: 本に溺れたい、参照
※資料追記(20200622)、この儀式が中世惣村から続くものであることがわかる。
「近江国」(平凡社日本歴史地名大系)
ムロトはさらに一般農民と上層農民である乙名(長老)衆に分れ、一般農民は一定年齢と村内規定にしたがって烏帽子着によって加冠の儀を通過して若衆・中臈(老)に進み、さらに一定年齢に到達するとその集団を抜け、大夫成りあるいは衛門成りなどと称する官途成りの儀礼を経て改名し(永正元年一〇月七日「今堀直物掟案」今堀日吉神社文書)、最後に乙名衆に入る。その組織形態は原則的に年齢階梯式の臈次制で座的構成をとり、鎮守社や村堂の行事を執行する宮座と重複するものと考えられている。
3)2)の際、使われる道具に脇差がある。はて、武家の子どもでもないのに、成人式に脇差? そう、つまり、近世を開いた秀吉の「刀狩り」に脇差は含まれていないのだ。だから、当然、赤城の山の国定忠治がハッシと睨んでいるのも、実は長脇差(長ドス)であり、刀(かたな)ではなく、違法ではないわけだ。この件については、藤木久志『刀狩り』岩波新書(2005)の書評のとき、再論しよう。
4)第3章で、村社会に儒家テキストが浸透する際に、「経典余師」*というアンチョコ本の出現(1786年)が決定的に重要だったことが述べられている。著者は渓百年(たにひゃくねん)。それまでの正統テキストは、白文もしくは返り点のついた原文だったが、それでは庶民に不便だろうと、書き下し文、本文、解釈、の三点セットで売り出したら、その後明治に入るまで、様々なバリエーションを生みながら、ベストセラーになった自学自習用儒家テキストのことである。今でも、旧家の土蔵などを調べれば大抵1冊くらいはある、という代物らしい(だから古書としても一冊ウン百円レベル)。そのため、これまで全くと言ってよいほど、歴史研究の対象となったことがないのだ、という。しかし、この出版企画上の一大イノベーションが十九世紀徳川社会の隅々にまで、「小学余師」**などを通じて、朱子学を浸透させる媒体となったと考えられる。明治期を含む、十九世紀日本社会の朱子学化を推し進めたのは、寛政の改革といわゆる「余師本」だと言えるかもしれない。中国思想史家の小島毅氏の問題提起(明治期に朱子学国家化が進んだ)にはよいヒントになりそうだ。それにしても、従来の日本思想史家たちも真っ青かも。
バカ売れしたテキストは、思想史研究の現場では重視されない、という悪弊は、ヨーロッパ大陸におけるリプシウスだけではなかった、という訳だ。ただし、これには、十九世紀西欧における学問の大学化、ないし実証史学の成立という知識社会学的大問題も秘められているので、慎重な検討が必要だろう。
5)「月並俳句」などと一段下にみられていた俳諧を日本中で造り続けていた、地方の俳諧結社の同人や、漂泊俳諧師たちは、一方で、寺子屋や手習所の師匠をも兼ねていた。したがって、その分散型の人的ネットワークが、テキストの貸し借り、情報の交換、を通じて、津々浦々を結びつけ、徳川社会全体の教育力を支えていた。
新書サイズにも関わらず、著者の fact finding が幾つも詰まった優れた本である。初期近代としての徳川期、特にその十九世紀の一側面を知る絶好のガイドだろう。必読。
*「余師(よし)」の出典 → 孟子、告子下 「曰、夫道、若大路然、豈難知哉、人病不求耳。子歸而求之、有餘師。」
研究書もあり。鈴木俊幸『江戸の読書熱―自学する読者と書籍流通』2007年(平凡社選書No.227)
**「小学」とは、朱子学上の入門書。これが、寺子屋、手習所における、筆子たちの礼儀作法(身体規律)の基準となった。また、「学制」において、初等教育機関を「小学校」と命名したのは、このテキスト名に因む。
〔資料追記20200622〕
資料Ⅰ「小学校」(平凡社世界大百科事典/佐藤 秀夫)
〈小学〉とは,専門教育を行う〈大学〉,それへの中間段階をなす〈中学〉などとの対比において,儒学における入門的教材集である《小学》(宋の劉子澄が1187年に編纂)に源由して名づけられたものと考えられる。1868年(明治1)静岡に移封された徳川家が開設した沼津兵学校付属小学校や翌69年までに京都市内に設置された番組小学などが,その最初の事例であった。資料Ⅱ「小学校」(小学館日本国語大辞典より)
1)大学垂加先生講義〔1679〕「『学記』の古之教る者は家有〓塾とで、古来注家に小学校と大学校との名の論ありて一に帰せぬこと也」
2)男重宝記(元祿六年)〔1693〕一・一「又、聖人のおしへには、八歳にして小学校(シャウガクカウ)に入て、洒掃(はきさうぢ)応対(いらへこたへ)進退(すすみしりぞく)をならひ」
3)浮世草子・諸芸独自慢〔1783〕五「早八歳になれば、初めて小学校に入らせ」
高橋敏『江戸の教育力』ちくま新書(2007)
【目次】
プロローグ 「教育の時代」としての江戸時代
第1章 江戸時代の文字文化
1寺子屋の時代
2村の寺子屋
3町の寺子屋
4礼儀作法をしつけた寺子屋
5師弟は三世の契り
第2章 江戸時代の非文字文化―家と地域の教育
1親をしつける―大原幽学の教育
2一人前にする―「若者組」の教育
3家を守る―放蕩息子を勘当する
第3章 江戸の教育ネットワーク
1『論語』が常識の時代
2『小学』が寺子屋師匠のバックボーン
3知のネットワーク
エピローグ 庶民皆学の行方
あとがき
参考文献
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