徳川社会三変論
徳川日本は、ざっと三区分したほうがよさそうだ。
17世紀 近世国家の出現とその拡大(国制の安定と外延的経済成長)
18世紀 近世化社会の完成(社会の成熟と内包的経済成長)
19世紀 プレ近代化(社会と個人のビジネス化)
この三区分からみても、18世紀徳川日本が、変化の目立つ時代に挟まれて、踊り場的な、よく見ないとわからない地味な存在という位置づけになるが、逆に言えば、最も近世らしい近世ということにもなる。
19世紀徳川は、1868年以降と分離して語るべきではなく、19世紀日本として認識されるべきだろう。唯物史観的メタファーを使うなら、徳川の国制が その基盤とする人々の変化、すなわち社会の変容とうまく接合できなくなり、次世代の国制を列島住人は必要とした。その右往左往のたどり着いた 「結果」が明治コンスティテューションだった。それが「目的」だったわけではないことは言うまでもないことだ。
そして、21世紀日本もいまだに、その明治コンスティテューションという国制の上に乗っていると考えられる。
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コメント
千葉ちゃん さん、コメントありがとうございます。
アイデアの枠組みは、私の考えていることです。
ただ、18世紀を重視すると言う点では、
1)中野 三敏『十八世紀の江戸文芸―雅と俗の成熟』
岩波書店 (1999/01)
を参照していますし、19世紀として徳川後期と明治を連結して考えるという視点は、
2)三谷 博、山口 輝臣『19世紀日本の歴史―明治維新を考える』
放送大学教育振興会 (2000/05)
をヒントにしています。
投稿: renqing | 2009年3月 4日 (水) 11時15分
徳川社会三変論の記事を読みましたが、この理論はあなたの独自性をもった理論なのか、あるいは文献からの引用のどちらですか? もし文献の引用であれば、その理論が載っている文献を読みたいので教えて頂けますか。
投稿: 千葉ちゃん | 2009年3月 4日 (水) 08時41分