近世文化の最盛期としての18世紀徳川日本
「文化の成熟というものは、これまたトータルな形であらわれてくるからこそのものであり、二、三の突出した姿、形をとってあらわれるものではありえないのではないか。
すなわちとくに目をひくような二、三の人物や事象によって説明されるのではなく、全体として高いレベルが保持されるときには、かえってとくに突出した人 物や事象はあらわれ難いというべきではなかろうか。そう考えれば、元禄や化政期に、前述したような突出した二、三の人物や事象があるということは、それこそがその時代の流動性-発展期や老衰期-をあらわす現象にほかならないともいえよう。元禄の西鶴・近松・芭蕉はまさに「俗」の価値が主張され始める近世青年期なればこそ、その旗手として突出してあらわれたものであり、化政期の馬琴・一九・三馬は老衰期・頽唐期に入った近世的「俗」文化の申し子であったと理解できるのではないか。」 中野三敏『十八世紀の江戸文芸 -雅と俗の成熟-』岩波書店(1999年)、p.6
著者は、十八世紀を近世文化のピークであるとして捉え、それを文芸の各分野に検証していく。そして、下記のようにその文を締めくくる。
「こうして享保に始まった江戸の最盛期は、寛政にその幕をひくことになるのである。そしてその間のちょうど一世紀、すなわち十八世紀の江戸の文化とは、個人を支えた道徳主義と、社会を支えた法律、経済原理とが、微妙にバランスをとりあって存在することによって成り立っていた。いわば道徳と経済とが、さしたる破綻なく存在する時代の成果であったと規定することができようかと思う。それはまた言い換えれば「雅」と「俗」のバランスの成果でもある。そしてこのような時代の、このような文化こそが、江戸時代なればこその文化であり、江戸時代でなければ存在しえない、再現不可能な、もっとも江戸的な文化の姿なのであった。
道徳主義のみの観点から江戸文化を見るのも誤りであろうが、それはなお経済原理のみで江戸の文化を割り切るのよりは、誤りは少なくてすむようにも思う。江戸が江戸であるかぎり、道徳は常に経済よりは何がしかは優先して考えられたはずだからである。それが常識というものであった。その常識を根底から払い去ったもの、すなわち江戸の息の根をとめたもの、それが福沢諭吉であったように、私には思えるのである。」 同、p.65
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コメント
もちろん「正確」というのは相対的な意味で「より正確」ということです。補足しておきます。
そうですね、あんがい宮崎市定みたいな「景気循環」が導入できると、江戸時代の分析はよい意味で単純化できそうです。ただその指標をどうするかが問題ですが。
投稿: 松本和志 | 2008年10月14日 (火) 16時04分
松本さん、どうも。
そもそも、270年もある徳川期を切れ目のない連続体のようにみなすことに無理がありそうです。
ちょっと試論を記事化してみます。
投稿: renqing | 2008年10月14日 (火) 11時46分
専門家にもこういう意見の方がいるのは心強いかぎりです。
じっさい、化政期に分類されることの多い大田南畝も与謝蕪村も上田秋成も鈴木春信も平賀源内も杉田玄白も、正確にはこの時代の人々なのですよね。
その意味で、江戸文化は元禄、宝暦・天明、化政の三期に分けるのが正確なのだと思います。いや、ほんとうは柳沢吉保、田沼意次、大御所徳川家斉の時代に対応しているというべきなのでしょう。その意味で、江戸時代中期の文化への過小評価は、そのまま田沼時代への評価ともつながっています。
投稿: 松本和志 | 2008年10月13日 (月) 12時02分