« 「悠久の杜」KOKIA (2003) | トップページ | 縮小に向かえ!?「自由貿易」(1) »

2008年11月17日 (月)

学問をして人間が上等にならぬ位なら、初めから無学でいる方がよし(漱石)

 漱石先生からガツンと一発、頭を殴られた気分。漱石の体内にほとばしる、江戸の思想的遺産=儒家(朱子学)的理想主義を痛感する。

「書物を開いて飯を食って満足しているのは綱渡りが綱を渡って飯を食い、皿廻しが皿を廻わして飯を食うのと理論において異なるところはない。学問は 綱渡りや皿廻しとは違う。芸を覚えるのは末の事である。人間が出来上るのが目的である。大小の区別のつく、軽重(けいちょう)の等差を知る、好悪(こう お)の判然する、善悪の分界を呑(の)み込んだ、賢愚、真偽、正邪の批判を謬(あや)まらざる大丈夫が出来上がるのが目的である。」夏目漱石『野分』(1907年)

 表題の出典、および漱石の戦闘的批判精神については、下記

漱石雑談: <新しい作品論>と「道義」 

をご覧戴きたい。今回、得るところ大でした。漱石、今こそ見直すべし。

|

« 「悠久の杜」KOKIA (2003) | トップページ | 縮小に向かえ!?「自由貿易」(1) »

Tokugawa Japan (徳川史)」カテゴリの記事

思想史(history of ideas)」カテゴリの記事

夏目漱石(Natsume, Soseki)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 学問をして人間が上等にならぬ位なら、初めから無学でいる方がよし(漱石):

« 「悠久の杜」KOKIA (2003) | トップページ | 縮小に向かえ!?「自由貿易」(1) »