愛すれども、淫せず ― ある福沢評
「福沢諭吉(1834-1901)の文章には否定しがたい一種の快活さがある。それは、人々が暗黙の内に依存している権威、あるいは狡猾さや馴れ合いを容赦なく明るみに出し、タフで自信をもって努力する個人がそのような内輪の甘えを壊すことを期待し、社会に新しい展望をもたらそうとする基本的な構えがどの作品にも通底しているからである。」
松田宏一郎「福沢諭吉の波紋」、苅部直・片岡龍編『日本思想史ハンドブック』新書館(2008年)
所収、p.118
著者は、冒頭から肯定的に福沢を評する。しかし、
「ところが、福沢には奇妙に策略的な文章を書く面があり、それを福沢像を複雑なものにしている。」同上、p.119
また、
「・・・、読者のナショナリスティックな自負心をくすぐろうとする操作的意思が働いている。」同上、p.120
と、論者なら誰しも気づきながら、あまり口にしたがらない福沢の側面を、率直に指摘していて鮮やかである。
掌編ながら、珠玉の福沢評といえるだろう。必読。
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