近代西洋、その力の根源/ The modern West: the roots of its power.
19世紀前半、右往左往する徳川日本に乗り込んできた西洋列強の力の根源は、なんだろうか。単に、新しいテクノロジーに基づく、軍事力や産業のパワー、なのだろうか。それらを生み出すより根源的理由はなにか。
そのヒントを、再びウェーバーに聞いてみよう。
・・・、古代プランテーションに対すると全く同様に、近代的・資本主義的作業場経営にとっても、「軍事規律」が
理想的な模範であるということは、改めて証明するまでもないことである。ただし、ここでは、プランテーションにおけると異なって、経営紀律は完全に合理的な基礎にもとづいており、最善の収益をあげるにはいかにすればよいかという見地から、何らかの物的生産手段と同様に個々の労働者をも、ますます、適当な測定手段を利用することによって、計測する(カルクリーレン)するようになっている。この原則にもとづいた・労働給付の合理的な調教と習練とが最高の勝利をおさめているのは、周知のごとく、アメリカ式の「科学的管理」方式 System des "scientific management"においてであり、この方式は、右の点では、経営の機械化と紀律化との最終的帰結を実現している。ここでは、人間の精神肉体的な装置は、外界、すなわち器具や機械が、つまり機械作用が、人間に呈示する諸要求に完全に適応させられ、彼自身の有機的構造によって与えられるリズムは無視されて、個々の筋肉機能への計画的分割と最善の力の経済とを達成することとによって、労働諸条件に適合するように、新たなリズムを与えられる。この合理化の全過程は、ここ〔経済的経営〕においてもどこにおいても、とりわけ国家的官僚装置にあっても、ヘルの処分権力下に置かれている物的経営手段の集中と、歩調を合わせて進行する。
このように、政治的・経済的需要充足の合理化に伴なって、規律化は、一つの普遍的現象として、制しがたく広まってゆき、カリスマと個人差に富む行為の意義とを、ますますもって制限してゆく。
マックス・ウェーバー『支配の社会学2』世良晃志郎訳・創文社(1962)
、pp.522-523
同趣旨のことを別の論者から引くと(というよりウェーバーの引用箇所も、同著書での指摘)、
国家が軍事的であり、軍事が国家化しているのが、近代的国家構造の最大の特色である。情念を抑制する人間は、その構造変化に見合っている。国家に服従し、自己抑制する良き国民は、同時にまた国家的軍隊の指揮官の命令に服従し、自己抑制する良き兵士である。暴力の独占と戦争が一体化しているように、人間の構造変化もまたその双方に対して整合する。さもなくば、「文明化」を逸早く推し進めたヨーロッパで、あれほど大規模な戦争が何度も繰り返し行なわれるはずがない。まして、「文明化」されたヨーロッパが、「文明化」されていない非ヨーロッパ圏を暴力で征服したり、支配したりするはずがない。しかし、彼らはそうした。ヨーロッパが最初に成功したのは、「文明化」だけでなく、また人間と国家の紀律化、人間の精神構造と国家構造の紀律化だった。これは一方では平和を確保し、他方では戦争を貫徹するための、人間と国家の改造だったのである。
山内進『新ストア主義の国家哲学』千倉書房(1985)、p.23
であり、また、
近代ヨーロッパを飛躍的に前進させたのは、初期近代に始まる合理的紀律である。人間を変革し、権力に積極的に服従させ、情念を統御し、合理的に振るまわせ、かつ戦わせたのは、合理的紀律である。言い換えると、初期近代にヨーロッパの人と国家は、合理的に紀律化させられたのである。ヨーロッパが他文明を実力で圧倒するのは、まさにこの時からである。情念を抑圧し、統御する理性的な人間、合理性に貫かれた経済・軍事・国家、組織化され紀律化された、服従的でしかも義務を果たす効率的な人間集団、これがヨーロッパの勝利を導き出した。中国やオスマン・トルコといったかつての世界的大帝国は、合理的紀律化の洗練を受けたヨーロッパ諸国にとってもはや脅威ではない。それどころか、その侵略の対象にすらなる。まして、それ以外の地区はいとも容易に植民地化される。
ヨーロッパをして海外侵略させたものは、ウェーバーの言葉を借りていえば、「火薬」というよりはむしろ「紀律」、つまり「合理的紀律」だったのである。
山内進『新ストア主義の国家哲学』千倉書房(1985)
、p.327
となる。
ローカルな領邦君主が並立し、様々な団体の身分的権利義務関係が複雑に入り組んでいた分権的国制(いわゆる「封建」的国制)を軍事的に清算して、一つの主権・一つの国内市場を目指したヨーロッパ各地の絶対主義王政。それを結果的に遺産として引継ぎ、「市民革命」を通じて完成した西洋の主権国民国家。その国力の源が「合理的紀律」化した国制というのが、上記の一応の結論となる。
19世紀の「日本」も、彼らからの挑戦に、自ら「主権国民国家」となることで応答せざるを得なかったのか。もしそれが避けられない歴史的選択であるとしても、少なくとも、事実上、元勲たちに国家主権があるにも関わらず、みせかけだけの天皇主権国家である明治コンスティテューションなどとは、もう少し異なる国家が構築できなかったのか、というのが今現在の私の所感だ。
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