19世紀徳川公儀体制の黄昏
徳川国家は身分制国家であった。これは、1603年に徳川家康が京の後陽成院から征夷大将軍の宣下を受けたときから、1867年、徳川慶喜が京の睦仁帝に大政を奉還し、将軍職を辞するまで変わらない。
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徳川国家は身分制国家であった。これは、1603年に徳川家康が京の後陽成院から征夷大将軍の宣下を受けたときから、1867年、徳川慶喜が京の睦仁帝に大政を奉還し、将軍職を辞するまで変わらない。
04時55分 幕末・明治維新, 国制史(Verfassungsgeschichte), 村上淳一(Murakami, Junichi), 石井紫郎(Ishii, Shiro), 平井宜雄(Hirai, Yoshio) | 固定リンク
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自由は、正義理念が課す公共性の規律に服してはじめて、「他者からの自由」、すなわち、他者を支配ないし同化するか、それができなければ排除するという権力への欲動を秘めた自己力能化としての自由から、「他者への自由」、すなわち、他者の批判と撹乱的影響を自己の精神の地平を拡大再編する自己変容の触媒として受けとめる自由へと成熟することができます。正義に先立つ主体の能力としての「他者からの自由」」ではなく、正義が可能にする「他者への自由」こそが、リベラリズムの認知をうける自由です。リベラリズムの基底的理念は自由ではなく正義であるとというのは、この意味でおいてです。
井上達夫「リベラリズムをなぜ問うのか―『他者への自由 』韓国語版への序文―」 『創文』NO.519(2009年5月)、p.6より
03時45分 書評・紹介(book review), 法哲学・法理論/jurisprudence Rechtsphilosophie, political theory / philosophy(政治哲学・政治理論) | 固定リンク
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