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2009年10月15日 (木)

十九世紀前半の列島における主権者なき「国民」化

 徳川の十九世紀には、近代主権国家はいまだ登場していなかったが、それに先立って経済と文化の次元で「国民」化が進行していた。

■「国民」経済の成立
 十九世紀の列島経済の発達は、三都(江戸・京・大坂)に代表される都市に見られるだけでなく、「地方の時代」と呼ばれるに相応しい内実を有していた。それは、地方における工業と交易の発展であり、織物、紙などを中心とする、局地的な市場の枠をこえた地域間市場向け生産の地方拡散と発展を原動力としていた。この動きは、十九世紀の三〇、四〇年代に加速する。その生産主体は、地方の問屋が原料・用具などを農民に貸し付けて製品を作らせる問屋制家内手工業であり、農閑余業という性格が強かったので、明治以降の資本主義的産業化とは異なるものではあったが、実質的には、マーケット・メカニズムが全国的規模で働く、「国民」経済を成立させていたと考えられる。

 しかし、一般的に言えば、マーケット・メカニズムの機能は、共同体の枠を突き破り、社会をよりビジネスライクにすることで、社会の統合性に対しては、求心力よりもむしろ遠心力として働く傾向が強い。いまだに国制としての近代主権国家が登場していない十九世紀前半の列島社会において、市場機構の発達が「国民」経済の成立として、統合的に働いたのはなぜであろうか。それは、「鎖国」という名の、公儀による一元的貿易統制が、結果的に列島内部に高まった経済力を列島の外部に漏出、拡散させず、内的成熟に向かわせたからであり、西欧が作り上げた「近代世界システム」から遠く離れた、ユーラシア大陸東端の弧状列島という地勢が、徳川公儀権力の実質的に緩い貿易管理政策をそれまで可能としていたからである。

■「国民」文化の成立
 十八世紀後半から徐々に進んでいた文化の成熟と庶民化は、世紀末の寛政の改革以降明確になり、文化文政期を経て、列島の文化に一つの質的変化をもたらしていた。それは、文化的大衆社会状況の到来である。すなわち、文字や教育の庶民化であり、遊芸や旅といった行動文化の庶民化であった。
 先に述べたマーケット・メカニズムの発達が、そこに暮らす凡ての人々に「売り買い」の行動を日常化させると、彼らの生活に当然ごとく「読み書きそろばん」が日常化する。なぜなら、支配者による年貢の取り立ては厳密な計算に基づいた割付状で示され、貢納の領収書として統治者から皆済目録が村に交付され、田畑の売り買いや、借金をするにも、また地方同士の遠隔地取引にも、文書化された証文がなければトラブル発生時に公事(裁判)で不利になってしまうからである。つまり、文書による契約が社会の基本原則になっていたのである。

■寺子屋と私設図書館
 文字や教育の庶民化を担ったのは、列島各地の村に一つ以上あった寺子屋や手習い塾であった。例えば天保五年(一八三四)の総村数は、六万三五六二であったから、その背後に膨大な寺子屋・手習い塾があったことが推測できる。仮に、一村に2つあるなら、単純計算で127,124であり、当時の総人口が三千二百万人ほどなので、列島住民二百五十一人に一つ初等教育の施設があったことになる。また、これらの手習いの師匠は、同時に村の上層農民であり、また俳諧を嗜み、村医を兼ねることも多かった。また、彼らは村の有力者のステイタスとして蔵書持つことが多かったが、その反面、書物が高価な時代であるので、この「文化資本」を何らかの形で地域社会の共通資本とすることが求められてもいた。そこに、彼らを各地の中心とした本の貸借のネットワークが登場する必然性が存在した。また、その大規模な蔵書をもとに(一万冊を超えるものもあった)私設図書館をひらき、無料の閲覧や運送費実費負担の貸し出しまで実施している例もあった。彼らが嗜む俳諧は、膨大な俳諧人口と俳諧結社を全国津々浦々に形成し、そこを遊歴する数多くの俳諧師の生活を可能とした。

■村民社会保険
 こうした文化の底上げは、村における医療需要も押し上げ、病気になれば医療をうけることを当然とする意識を形成した。例えば、信州松代では、幕末になると各村に一人以上の医師がいたし、無医村になると、村方引請(むらかたひきうけ)と言って、村で医者を雇うことも行われ、高額な医療費については村民の貧富の差に応じて負担しあう相互扶助制度(いわば村民社会保険)を作り上げていた村もあった。

■徳川公儀体制はなぜ崩壊したか
 二百七十年間続いた徳川公儀体制が、何ゆえ黒船到来から、たったの十五年間で崩壊したのか。政治史的にはいろいろ指摘できるが、マクロの長期変動から見れば、列島内に発達した「国民」経済と「国民」文化が成立していながら、徳川公儀体制が、その一姓による国政統治、身分間契約、分権的支配、という基本原則に立つものである以上、自己変革し、「国民」国家の統治機構となることができなかったことが最大の要因とみなしうるだろう。

■参照(20091016 参照文献追記)
新保博、斎藤修編『近代成長の胎動』(日本経済史2)岩波書店(1989)
高橋敏『江戸の教育力』ちくま新書(2007)
青木歳幸「草莽の蘭学」、竹内誠編『文化の大衆化』(日本の近世14)中央公論社(1993)

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