ひとつの徳川国家思想史(3)
■闇斎 vs. 素行
尾藤は、尊王攘夷思想の特質を、広い意味での国家本位の主張ないしそれを支える意識にあるとみて、その源流を寛文・延宝年間(1661-1680)に求める。何故なら、この時期に山崎闇斎(1618-1682)と山鹿素行(1622-1680)に代表されるような、新しい思想的潮流が登場しているからである。
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■闇斎 vs. 素行
尾藤は、尊王攘夷思想の特質を、広い意味での国家本位の主張ないしそれを支える意識にあるとみて、その源流を寛文・延宝年間(1661-1680)に求める。何故なら、この時期に山崎闇斎(1618-1682)と山鹿素行(1622-1680)に代表されるような、新しい思想的潮流が登場しているからである。
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以下、しばらく尾藤論文の梗概を試みる。
■研究史の回顧
尾藤は、この論文の発表当時(1977年)、尊王攘夷思想の関する研究で大きな影響力を持っていたのは、丸山真男「国民主義の「前期的」形成」(『日本政治思想史研究』1952所収)や、遠山茂樹『明治維新』(1951)であることを述べ、前者によって、尊王攘夷思想が思想であるより政治綱領であり政治運動である、と見なされるようになったこと、また、後者によって、尊王攘夷思想がもっぱら保守的・反動的思想を超えるものではない、という評価が定着したことを指摘する。
しかしながら、丸山のものにせよ遠山にせよ、それらの仕事は大東亜戦争末期の戦時下において構想、公表されたもので、その時代的文脈を頭に置かなければ読み誤りかねないはずのものである。すなわち、明治国家体制公認の王政復古史観、あるいはそれと不可分のものとしての公認された尊王攘夷思想に、対抗し、打破しようとする意図が丸山や遠山にあり、その弁証として上記の業績があったのである。
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尾藤正英は戦後の日本近世思想史、とりわけ徳川期の思想史研究において、丸山真男とともに決定的業績を残している。なかでも、丸山の提出した「モダンな」荻生徂徠像、および、それに対して尾藤が、国家主義の祖型としての徂徠像を提起したことは、現代の徂徠研究にも影響が大きい。
尾藤の業績の中で近年は、論文集『江戸時代とはなにか―日本史上の近世と近代』岩波書店(1992年)が参照されることが多い。私も当ブログで幾度か触れた。思想家の稠密な個別研究というよりは、江戸時代の全体像を論じる大きな議論がその魅力となっている。
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「会読」なる語をご存知だろうか。一冊の本を数人で輪読しながら、その内容や関連することにつき議論するという学習形式のことである。現在も、大学等のゼミや市民相互の自主的な勉強会などでも使われているメソッドである。
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