ひとつの徳川国家思想史(2)
以下、しばらく尾藤論文の梗概を試みる。
■研究史の回顧
尾藤は、この論文の発表当時(1977年)、尊王攘夷思想の関する研究で大きな影響力を持っていたのは、丸山真男「国民主義の「前期的」形成」(『日本政治思想史研究』1952所収)や、遠山茂樹『明治維新』(1951)であることを述べ、前者によって、尊王攘夷思想が思想であるより政治綱領であり政治運動である、と見なされるようになったこと、また、後者によって、尊王攘夷思想がもっぱら保守的・反動的思想を超えるものではない、という評価が定着したことを指摘する。
しかしながら、丸山のものにせよ遠山にせよ、それらの仕事は大東亜戦争末期の戦時下において構想、公表されたもので、その時代的文脈を頭に置かなければ読み誤りかねないはずのものである。すなわち、明治国家体制公認の王政復古史観、あるいはそれと不可分のものとしての公認された尊王攘夷思想に、対抗し、打破しようとする意図が丸山や遠山にあり、その弁証として上記の業績があったのである。
結局、丸山や遠山のように幕末維新期に尊王攘夷思想を限定してしまうと、徳川期を通じて存在した尊王論や攘夷論(前史としての尊王攘夷思想)、明治国家体制下において「忠君(=尊王)愛国(=攘夷)」と名を変じて存在したこと(後史としての尊王攘夷思想)が、視角から脱落してしまい、かえって皇国史観への批判と清算を十分なしえず、むしろ抑圧された形でその影響を残すことになってしまうというのである(現代の靖国問題を想起せよ--renqing注)。
■「尊王攘夷」は漢語ではなく、和語である
「尊王攘夷」タームは、中国の古典には見えない。1838年(天保8年)に、水戸藩の藩校、弘道館の建学の精神をうたった、『弘道館記』が一般的に知られている最初の用例である。したがって、尊王攘夷思想は、文政・天保の頃に成立したと見られる。
「尊王」とは、統一国家の君主としての天皇に対する尊崇を通じて求心的な意味での国民統合をめざすこと、「攘夷」とは対外的な意味での国家防衛のことであるから、この二つの理念を結合することによって、国家の統一性を保持し強化することを目標とした思想であったといえる。
ここで尾藤は、朱子学に尊王攘夷思想の起源がある、というこれまでの根拠薄弱な巷説を、朱子のテキストに戻りながら、検討した上で、一つ一つに駄目を出していく。まとめれば、「夷狄」なる語は、中国語では、近代的な「民族 nation」というよりも、中華世界の普遍的な文化や道徳の恩恵に浴しているかどうかの違いであること、また、「尊王」思想も儒教思想中の易姓革命論と 究極的には共存不能であること、を指摘し、「尊王攘夷思想はやはり日本で独自に形成された思想とみるべき」(p.50)と結論付けている。
次回へ続く。
尾藤正英「尊王攘夷思想」、岩波講座日本歴史13(近世5)1977
所収
内容目次
一 問題の所在
ニ 尊王攘夷思想の源流
1 中国思想との関係
2 前期における二つの類型
三 朝幕関係の推移と中期の思想的動向
四 尊王論による幕府批判と幕府の対応
五 尊王攘夷思想の成立と展開
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