歴史における必要条件と十分条件(1)
徳川時代、特にその後期、寛政の改革以降の十八世紀末から十九世紀前半にかけての列島社会の諸相を眺めていると、「近代」を予感、表徴する現象に事欠かない。本ブログでもこれまで縷々具体例を挙げてきた。それらは、肯定的に評価すれば徳川江戸文明のいわば「先進性」であり、また同時にその「先進性」から呼び出されるところの問題群でもあった。
しかし、結果として徳川江戸文明は、代替的なものを含め自ら「近代」を生み出しはしなかった。これが歴史的事実である。では、もし19世紀初頭からの、西洋列強の硬軟織り交ぜた門戸開放圧力がなければ、たとえゆっくりではあっても、徳川江戸文明は自生的に「近代」をこの列島に出現せしてめていたのだろうか。
そういう気配がないではないとも思う。つまり、西欧タイプではないかもしれないが、ある種の「近代」的な人間生活総体を生み出していたかも知れないとも思えるのだ。つまり、「近代的なるもの」を生み出すための必要条件は幾つも備えていたと考えることも可能ではないかと。
その一方で、現実に今から150年前、このユーラシア東端、太平洋西岸の弧状列島に万里の波濤を越えてやってきたのは、進んだ武器と機能的な国家制度を具備する「主権国家」という強力なモビルスーツを身に纏った西欧列強だった。とすれば、彼らがあの時点から30年後、つまり1900年前後にやって来ていれば、列島に誕生していたかもしれない「政府」は、西欧列強に何ほどか対抗し得たのだろうか。
その点は難しいかもしれない、というのが私の率直な感想である。つまり、19世紀西欧列強と渡り合えるための、十分条件が欠けていたと思わざるを得ない。それは端的に言って、海軍力とそれを運用統御する「主権国家」である。
西欧の内部にも、「近代社会」を生み出しながら自生的には「近代国家」になれなかった国がある。オランダである。
オランダは、17世紀中、卓越した商業力、海運力、金融資金力で、他の西欧諸国を圧倒していた。そして17世紀末から18世紀にかけて、競争相手でもあ るイギリスにその潤沢な資金を投資しており、こうして西欧各国の富裕者層から資金を調達し続けたイギリスは、17世紀から18世紀での対外戦争で(アメリ カ独立戦争を除き)無敗を続け、19世紀前半には、大海軍力、大工業力を有する覇権国となり、幕末の列島にその姿を見せることになる。
オランダは、なぜ「近代社会」化しながら、ついに「近代主権国家」になれなかったのか。それは、連邦共和国という分権的国制ゆえである。オランダが統一的主権国家となれたのは、19世紀、なんとナポレオンに占領されたことによるのだ。
17世紀末イギリスにあって、オランダになかったもの。それこそが、軍拡と工業化のための資金をイギリスに集め続けた財政金融制度である
funding system
であった。それは、名誉革命(1688年)後実現した「財政革命」であり、イングランド銀行(1694年設立)が戦時に国債を発行し、その返済を議会が保証するものである。オランダは最先端の経済を持ったが、最先端の国家であるために必須の集権的、主権的な「財政=軍事国家」を作り上げていくことが、その国制の分権性・自由度ゆえに出来な
かった。これがその後の英蘭を分かつ歴史的起点となってしまった。
徳川江戸文明においても、その分権的・割拠的国制が克服されるためには、
対外的な軍事危機→大海軍力の必要性→莫大な財源→「君主の家政」を「国家の財政」にするための財政革命
というステップは踏まざるを得なかった。まさにこれは、徳川公儀体制が未完のうちに挫折した自己変革であり、一方、明治コンスティテューションが辿った過程そのままと言える。
次回へ続く(予定)。
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