Creeping nationalization(忍び寄る国民化)
■「国民」から「国家」へ
徳川公儀体制は、その出自からいって、そのままでは到底、近代の主権国家化は望むべくもなかった。しかし、17、18世紀の200年に及ぶその平和は、その最後の19世紀に列島住人の事実上の文化的「国民化」を達成していた。すると、列島における近代主権国家の成立にとって、徳川公儀体制の遺産とは、歴史上存在したその国制ではなく、徳川国家の胎内で細胞分裂を始めた「想像の共同体」だった、と考えられる。明治コンスティテューションは、「民草から国民化」へのための大きなコストは払わずに、主権化に意を注ぐことで急速な近代国家化を達成できたわけである。
これは、西欧の近代主権国家の歴史的成立過程である《主権化→国民化》と順序が逆である。西欧の国民国家群においては、「国民」の恣意性、フィクション(擬制)性はその歴史的経緯からいって、権力者たちにも、民衆自身にも明らかだが、列島の近代史においては、自生的「国民化」が先行することで、そのフィクション性に民衆自身が明瞭に気付く機会がなかった。
しかし、西欧においては、現代においても、例えばイギリス、すなわち連合王国(The United Kingdom)内には、限定的ながらも立法権をもつスコットランド議会と教育・法レベルの行政府が1999年に発足し、同年、ウェールズも英国議会による立法を審査するウェールズ議会と行政府が誕生している。欧州では、主権国家の枠組みは絶えず民族問題の挑戦にさらされているのが実情なのである。
では、列島における「国民化」を自生的に成し遂げたものは何か。それが徳川19世紀における、「国民経済」の成立と、「国民文化」の誕生なのである。なかんずく、後者の「国民文化」誕生を決定的に促したのは、化政文化と考えられる。では、その特徴を幾つか挙げてみることにする。
■江戸の文化
宝暦・天明期(1751‐89)を境に、文化生産の中心が江戸に事実上移動していた。例えば、文化7年~11年期の出版点数は、江戸が450点を超えているのに対して、京・大坂を合計した上方の出版点数は140点を下回っている。また、文化生産者、すなわち文人、画家、役者の主勢力は江戸在住であった。これは、京文化の900年間に及ぶ文化資産に対して、近世200年間の経済的、文化的成長による江戸の文化資産の蓄積がようやく拮抗し、凌ぐことが可能になったことを示していよう。
■庶民の文化
化政文化は、列島史上はじめて、文化が商品になり、流通し、消費の対象となった時代であった。庶民による文化消費社会の出現である。この裏側にあるのが、この時期の「国民経済」の成熟であり、それにより、文化が社会の有力層等の狭いサークル内での生産・消費の枠を超え、庶民にもまたその享受が可能となる条件が整った。これは文化に対する有効需要を決定的に変え、文化生産のビジネス化がこの時期進行することとなった。
たとえば、大人の絵本である黄表紙は、18世紀終わりごろから19世紀初頭にかけての30年間に、2000種以上もの出版を見た。当たり作が多かった寛政初期などは、曲亭馬琴によって、出せば初版1万部を超え、増刷が3000から4000部を超えるケースもあった、と記録されている。また、出版文化の普及には私設有料図書館である貸本屋の存在が欠かせない。貸出期間は、15日とか1ヶ月と定められ、レンタル料(見料)は、一冊につき、浄瑠璃類12文、和漢軍書類だと6文、絵本仮名物類は8文等、といろいろであった。この貸本屋業者は、1808(文化5)年当時、江戸に656人、大坂には約300人おり、天保年間の江戸には、800人ほどの貸本屋業者がいた。江戸における貸本屋一人当たりの得意先が、50軒ほどなので、江戸だけで4万軒の貸本屋読者がいたことになる。これは、発行部数をはるかに上回る読者が市中にいたことを意味する。
■遊芸(遊び)の普及
この時期、歌舞音曲をはじめとする遊芸人口が増加し、町の師匠(レッスン・プロ)が成立した。これは宝暦あたりから始まる家元制度の発達もその背景にある。1844(天保15=弘化元)年ごろ、江戸府内において、邦楽の流派である常盤津の名取は、男女合わせて640人余り、その名取たちの弟子約6100名、という記録が残っている。また、式亭三馬の『浮世風呂』には、十歳の娘が、朝から夕方までびっしり、手習いや三味線、踊り、琴、等の習い事のスケジュールに追い立てられている様子の描写がある。このことが意味するのは、遊芸の日常化であり、文化の生活化ともいえるものである。
また、園芸の普及も著しい。とくに有名なのが、朝顔の栽培だろう。特に、上層町民や武家、僧侶などによる変化朝顔の栽培などに、その不稔系統の維持のノウハウが、明らかに経験則としてのメンデルの法則を熟知していることが推定できる。そして、朝顔栽培法のノウハウ本が何種類も出版され、ロングセラーにもなっているところが、化政期らしい。
□参照
Creeping Modernization(忍び寄る近代化)
十九世紀前半の列島における主権者なき「国民」化
〔続く〕
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