徳川国家の資本主義化を妨げたもの / What prevented the capitalisation of the Tokugawa States
資本主義 Capitalism でものを言うのは、貨幣 money です。しかし、だからと言って、Moneyism とはあまり聞きません。すると、資本主義 Capitalism において決定的に重要なものは、やはり資本 caital なのです。
では、市場経済 market economy はどうでしょうか。これは貨幣 money を媒介にした交換経済です。まあ、いろいろな物資が売り買いされる経済です。
ここで思い起こされるのは、フェルナン・ブローデルの三層構造モデルです。
資本主義 |
市場経済 |
物質生活 |
経済史家の斎藤修氏は、「この図式によって本章での観察事実を整理すると、日本と西欧とに共通していたのはその中層階を舞台としてスミス的成長が起こったという点にあり、顕著な違いはその一階部分と最上階とに見られるということができる。」*と述べています。
この考察を借りると、西欧近世と徳川日本の資本主義への道を分けたものは、最上層の部分の有無ということになるでしょう。そしてこれは端的に言って、「資本 capital」の有無ということになります。さて、それでは、西欧近世において「資本capital」はどのようにして形成されたのでしょうか。
これは、まず第一に、外国貿易です。王権と結びついた特権商人(東、西インド会社が典型)の場合もあれば、一攫千金を追求する冒険的商人の場合もあるでしょうが、交通およびコミュニケーションにコストが非常にかかる段階では、国外の珍奇な物産を共同体内に持ち込むことだけで、王侯貴族相手にそれらを売却し、極めて高い利潤を手に入れることができました。また、少し気の利いた商人なら、貴金属を中心に内外の相対価格差を利用して、共同体内外のボーダーを出入りしながら、exchange を繰り返すだけで、利益を抜くこともしたでしょう。
こうして外国貿易を通じて、共同体の一部の層に貨幣的富が蓄積してきます。しかし、貴金属や貨幣的富は手元に置いておくだけでは、新たな価値(富)を生み出しません。すると次なる外国貿易に投機(ハイリスク・ハイリターン)する場合もあるでしょうが、富を既に手中に収めている者はどうしてもその富の運用においては保守的になります。もし可能なら、高利かつ元本償還の安全な投資先を望みます。これが第二の、金融ないし金融的投資、と言うことになります。
この第一、第二のステップを踏んだのが、近世オランダ共和国**です。十七世紀、オランダ共和国は、スペイン・ハプスブルク家からの独立戦争を戦いながら、バルト海貿易を中心とした西欧内国際貿易で無類の競争力を発揮しつつ、マネーを蓄積して行きます。この地域分権的で、貴族共和政的国家の内側では、市場経済が活発で、先の莫大な対外貿易黒字は、市場経済活動を通じて、市民レベルにまで浸潤し、オランダでは猫も杓子も安全確実高利な投資先求めて右往左往します。このオランダ・マネーはしばしばイングランドに流れ込みます。
そしてイングランドでの名誉革命(1688-1689)は、その歴史の綾を通じて、オランダ共和国総督(事実上の王)を新王として迎え入れ、ここに、イングランド・オランダの同君連合が成立します。これで、オランダ共和国としては、自らに食指を伸ばそうとするフランスに対してイングランドの軍事力を対抗させることが可能となりました。しかし、イングランドではあっても、軍事大国フランスに見合うだけの軍備をそろえる事は容易ではありませんでした。そこに、すでにオランダ共和国で実験済みのファンディングシステム(軍事予算のための国家の短期借入金をより期間の長い国債に乗り換えること)とアムステルダムの最新の金融・信用技術が導入されます。そして名誉革命後5年を経て、イングランド銀行が設立され、イングランドの財政=軍事国家化が決定的になります。このイングランド銀行設立は、政府にとっての軍事費調達、紙幣(イングランド銀行券)の発行による市中金融の緩和、投資家に対する国債という安全有利な投資先の提供、といった何重もの役割を担って登場し、イングランドを史上初めての金融資本主義国家に変貌させます。
一方、名誉革命時の徳川日本といえば、元禄二年であり、芭蕉が「おくのほそ道」を旅した頃です。17世紀の人口爆発が内需を押し上げ、元禄高度成長を謳歌していました。国際貿易から事実上離脱して久しく、対外貿易を通じた民間金融資本(金銀)は蓄積されていませんでした。また、19世紀のような徳川国家の安全保障危機を通じた、軍事予算の増大→新たな集権的軍事・統治システムの再構築の必要性→徳川氏の家政から「日本」政府の国家財政へ、といった一連の流れも望むべくもありませんでした。逆に、そのため列島内ではある種の洗練化(文明化)が進み、西欧に比べて富の不平等度の少なさ、二百年を通じた平和、という条件の下で、箱庭のような国家を作り上げることになりました。19世紀半ばに西欧人が陸続と徳川日本にきた頃には、江戸シティを初めとした都市環境の良好さに舌を巻いたのも、1858年ロンドン大悪臭(The Great Stink)に象徴される、西欧の劣悪な都市環境のせいでもあったでしょう。
徳川日本は、西欧と異なる「近世化」の道を歩みつつありました。この先に、どのような異なる列島近代史のコースがあったのかは、また検討したいと思います。
名誉革命=英蘭コンプレックスの出現 (Anglo-Dutch complex): 本に溺れたい
◆註
*大島真理夫編著『土地希少化と勤勉革命の比較史』2009年、ミネルヴァ書房、p.363
**玉木俊明『近代ヨーロッパの誕生 オランダからイギリスへ』2009年、講談社選書メチエ
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コメント
楽しみにしています。また、ご紹介いただいた本も読んでみます。感謝
投稿: まつもと | 2010年4月30日 (金) 23時03分
まつもとさん、どーも。
今回のまつもとさんの刺激的コメントへのresは、別記事を書くことで果たそうと思います。
これは今私の構想している本である「文明化の過程としての徳川日本」との直接からみますので、少々お時間を下さい。
渡辺氏の本がもう少しで読了できる関係で、その書評をこの一両日でupしたいと思っています。すみませんがその後にレス記事をポストします。
投稿: renqing | 2010年4月30日 (金) 11時39分
はい、その辺の問題意識は私も分かります。マクニールの本の面白いところは、そうした資本主義の形成において軍事が果たした要因を世界史的視野で分析しているところで、
・そもそも西欧で財政が発達した原因は戦争にやたらカネがかかるようになったためだが、それは中国からの火器の伝来という外生的要因と、ヨーロッパ内での国家間競争、それにともなう兵器開発(とくに大砲)や軍事技術(訓練と定期収入を必要とする常備軍)の異常なまでの発展、という内生的要因が組合わさっている。
・また、軍事費や物資を徴発するのではなく借り入れたり購入するという市場型の行政手法は、宋代の中国の高度成長とそれによる世界貿易によってもたらされたと考えられる。つまり宋元→イタリア都市国家→西欧。
・ヨーロッパにおける戦争の商業化(あるいは市場化)はヴェネツィアにはじまり、オランダ・イギリスで完成をみた。(日本語版ウィキペディアによるとアムステルダム銀行はヴェネツィアの銀行をモデルにしたとかで、むべなるかな)
・15世紀なかばあたりからの軍事技術の高度成長により、西欧は(東アジアを除く)非西欧世界に対して軍事力では圧倒的に優位に立った。ヨーロッパ内だと同格同士の戦争でコストがかかるので、インド洋と大西洋の向こうで戦争を行なった。つまり、強兵=富国というすでに確立されたパターンの延長。
こう考えると、ブローデルのいうように資本主義とはタナボタ的富の獲得をめざすシステムであり、そこに新大陸があった(それで三角貿易などによる大発展が可能になった)のが偶然であることは動かないと思うのですが、そこから効率よく略奪して富を社会に還元して回転させ、さらなる税収を図るオランダ・イギリスを端緒とする近代資本主義国家のシステムは、戦争遂行の要請に応えるべく、ただし東方からの影響を独自の条件(いわゆる多元主義)の下で消化するなかで内生的に発展し準備されていた、といった折衷案の説明を考えています。
そこで以前話題になったオランダとイギリスの興亡の原因ですが、経済的な中央集権、すなわち自国の財政=戦費調達に奉仕する強力な中央銀行を創設できたかどうかは、両国の歴史の大きな分かれ目の一つだったのではないでしょうか。
投稿: まつもと | 2010年4月28日 (水) 21時51分
まつもとさん
コメントありがとうございます。
W.マクニール「戦争の世界史」
は、読もうと思いつつ、未読です。
ただ、現在の私の関心は、それと重なりつつも、
ジョン・ブリュア『財政=軍事国家の衝撃 戦争カネ・イギリス国家1688-1783』
パトリック・オブライエン『帝国主義と工業化1415-1974』
にあります。
そもそも現在の租税国家(の危機)が、初期近代における英仏の軍事的角逐から作り上げられた偶然の産物である、オランダを主な起源とする、財政(租税+公債)システム、中央銀行制度、といったものを淵源としていること。それが18-19世紀欧米帝国主義や、それをプラットフォームとして近代資本主義を生み出したこと。
したがって、ほぼ同じサイズの中規模国家どうしの軍事的角逐(覇権争奪戦)がなかった近世東アジアにおいて、大陸王朝である清朝や島国国家・徳川日本などに、資本主義と帝国主義が同時発生しなかったのも当然だ、という近世・近代史の認識になりつつあります。
かつての関さんの資本主義ナタボタ論とか、ウォーラーステインの近代システム論等と比べると、より内生的要因を重視することへシフトした、ということになるでしょう。
オブライエンの立論は、下記の新著にコンパクトにまとめられていますので、参照されると裨益されると思います。
樺山紘一『新・現代歴史学の名著 普遍から多様へ』中公新書(2010年3月)
投稿: renqing | 2010年4月25日 (日) 19時58分
お久しぶりです。すでに読まれているかもしれませんが、このへんの議論はW.マクニールの「戦争の世界史」がじつに面白かったです。お勧めです。
投稿: まつもと | 2010年4月25日 (日) 03時18分