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2010年5月 6日 (木)

渡辺浩『日本政治思想史 ― 十七~十九世紀』東京大学出版会(2010年)(10・結)

(9)より

◎なぜ、徳川体制は崩壊したのか?(第十五、十七、十八、十九章)

■「江戸人」は「日本人」である
 徳川日本には「日本」国は存在しなかった。この言説を著者は「全くの誤謬」(本書p.301)と切り捨てる。すなわち、徳川期、この列島を全体としてカバーする観念として「日本」国はあったし、そういった統合性の客観的な条件も、政治・経済・文化の各方面において存在した*。したがって、「日本人」という自意識もあった(本書p.304)。

■日本は小国か?

・・・、明治初期の日本人口が三千五百万人を下らなかったことはほぼ確実であろう。人口に関するかぎり日本は決して小国とはいえず、アメリカを凌ぎ、オーストリアあるいはフランスに匹敵する「大国」であった。
鬼頭宏「近代日本の社会変動」、長期社会変動 (アジアから考える)
、東京大学出版会(1994)、p.201

 つまり、小国という自己規定は事実と反する。では小国という自意識はなぜ生まれたか。比較の対象が常に、唐天竺からてんじくだったからである(本書p.306)。すると、その小国意識を心理的に補償する様々な言説アイテムが生み出される(本書pp.308-14)。いわく、「東・陽」(太陽が昇る方角にまします)、「武・勇」(軍事力に優れ、勇ましい)、「質・直」(大陸文明よりナイーブだ、いわゆる、高貴な野蛮人 Bon sauvage であること)、「神・皇」(神国であり、皇統連綿たる皇国である)、等々。

■西洋、新しい座標軸
 こうして、大陸中華文明への対抗意識から「日本(人)」は規定された。つまり、座標軸およびその原点が大陸文明だったわけである。その大陸中華文明を座標軸から単なる一つの座標に切り替える、新たなエピステーメーを生み出した有力なオブジェクトが、漢籍世界地理書や蘭学(洋学)およびそこから観念的に構成された「西洋(人)」である(本書pp.347-51)。

 徳川日本で「唐人」と言うとき、清国人だけを指示するわけではない。往々、朝鮮国人・琉球国人、時にオランダ人まで指す。ところが十八世紀末からゆっくりと後に急激にそれが変化する(本書p.343)。当時の安全保障論である海防論の仮想敵も、「開港」「開国」の相手も、「異人」**も、西洋諸国人(白人)に既になっていた。

 18世紀から19世紀中葉にかけて、西洋は中華を差異化するアイテムから、科学技術的・軍事的に優越である学ぶべきものとなり、開国・開港期には、道徳的にも優れ、学ぶべき、価値的にも事実的にも優越した、讃仰する対象とする事態が出現する。

■体制の自壊、あるいは神話としての司馬史観
 事態がここまでくれば、体制の自壊まで一瀉千里であり、日米修好通商条約締結時においても、

 ・・・、「開国」は、決して(攘夷論者が信じたような)単なる軍事的圧力への屈辱的譲歩ではなかった。少なくとも一面で、徳川日本は、普遍的な「道理」の吟味の結果、自主的に決断して「近代西洋」にみずから開いたのである。本書p.377

 著者は「少数の明敏な開明派が、西洋による干渉・植民地化を避けるためには、天皇を中心とする統合と当の西洋に倣った改革とが必須であることに早く気付き、しかも、その本音を隠しつつ事態を導いた」という、幕末維新物語を、「事実ではない」とする(p.384)。では実態はどうだったのか。

■尊王派武士というパラドックス
 最も影響力があったのは儒学の浸透である。「禁裏と公儀の並存状態を儒学の枠組みで理解しようとした結果、結局、正統な君主は禁裏であり、公儀は「国政」「大政」を「委任」されているのだという国制解釈が広まった」のである(p.388)。これが嵩じると結局、「武家が天皇から土地と権力を簒奪したという歴史理解」に逢着する(本書p.392)。つまり、武士は尊王であればあるほど自己の存在理由を疑わざるを得なくなる。

 武家政権というトロイはその内懐に尊王思想という木馬を引き入れてしまっていた。

このような「尊王」と武士の自己懐疑との結合が、天皇を直接戴いた武士出身者の構成する政府による、大名支配と武家身分自体の解消という一見逆説的な変革の一因であろう。その時、水戸学的・頼山陽的歴史意識を受容していた武士たちは、それに抵抗する思想的足場をすでに欠いていたのである。本書、p.393

■公議輿論、新たなるlegitimacyの登場
 その一方で、「尊王」とはいっても、そこから自動的に政治運営の手法が出てくるわけでもない。そもそも公儀のやり方をその専断性をもって批判していた勢力は、その代替手法として、「公議輿論」を唱えていた。それは、

「人心不居合」を懸念する「衆議」論、儒学的な「公論」論、そして西洋の政治制度の紹介、それらが混合し、融合した。かくして、「公議輿論」が「公方様の御威光」に代わる統合原理として浮上した。本書、p.396

 そして、そうしたもろもろ政治運動にエネルギーを供給したのが、堅固な身分制の中で窒息していた下級武士たちである***。「明治維新」は、この武士たちを解放した。そして、五箇条の御誓文第三条は、「何よりも、二世紀以上の間、悩み、鬱屈していた武士自身の解放宣言だった。」****(p.402)

■ポスト徳川体制の歴史的実験(第二十、二十一、二十二章)

 明治に入り、国家制度が具体的に構築されていく中で、キリスト教の代替物としての「皇室」制度が作られていく(p.418)。そういう時代にあって、対照的に生きたのが福沢諭吉と中江兆民であった。それぞれに新時代の「自由」や政治について深く思索し、ある意味、儒学的なエートスを抱えた思想家であると捉えられている。ただ、思想家として著者が最も評価しているのは、横井小楠のようだ(本書p.380)。

■おわりに

 五百頁に及ぶ浩瀚な本書を読んで、まず浮かぶのは、英米の大学出版局から出される、いわゆる Companion と題名につく手引書である。例えばこういうもの。

The Cambridge Companion to Ancient Greek Political Thought (Cambridge Companions to the Ancient World)←amazon.jp
Cambridge University Press (2009/4/27)
The Cambridge Companion to Ancient Greek Political Thought (Cambridge Companions to the Ancient World)←amazon.com

 とりあえず、これ一冊あれば、徳川政治思想史のほとんどをカバーしていると思えるほど、多方面で網羅的である。何か気になることがある時、本書を繙けば、何らかの知見を得ることができるはずだ。辞書代わりに使えるだろう。ただ、それにしては索引が少し弱い。出来れば、あと事項索引、書名索引を付けるべきだったと思う。データはデジタル化したものがあるはずだから、上記を作成する追加的コストはそれほど高くないと思うのだが。

 あと、最終章にでも、徳川日本の持つ、列島史における歴史的、あるいは人類史的意義の著者なりの見解を表明してもらえれば、ピースミールの面白さだけでなく、21世紀の列島に生きる我々が数百年前の我々のご先祖様たちが書き残したものを読む意味についてより深く考える一助になったように思う。

*次の過去記事を参照。
十九世紀前半の列島における主権者なき「国民」化
徳川幕府の対外的な自称

**小学館日本国語大辞典、「異人」の【語誌】にこうある。

もと「偉人」あるいは「奇怪な人」の意味であっ
たが、次第に「外国の人」の意味で使われるようになった。江戸時代には、公文書にも、「異国人」とともに使用されたが、開国の頃から「外国人」が用いられるようになった。しかし、明治期の庶民層では「外国の人」を表わす語として、「異人」が最もよく使われた。

***武士階級内部は、大きく侍さむらいと呼ばれる(主君に拝謁を許される)御目見の身分とそれ以下にまずカテゴライズされる。そしてそれ以下の徒かちまでが士分。足軽は士分ともされない。つまり百姓と身分上区別がつかない。よく西郷、大久保を下級武士出身というが、彼らは辛うじて最下級の御目見身分である。つまり、主君に拝謁できるわけで、それだからこそ、主君による抜擢もあり得た。

****東畑精一『日本資本主義の形成者』岩波新書(1964)
、pp.70-71、にこうある。

明治維新によって解放された最大のものは実に武士―ことにそれまでの封建制度の下で比較的に強く抑えられてきた下層武士―であった。彼らは四海同胞を謳歌した。武士は自らを喪うことによって新天地に活動しうる精神的自由と倫理的是認
とを獲得した。しかも旧武士が活躍した経済開発の場面は、主として明治とともに新たに開けたもので、これには庶民が容易に立ち入り難いようなものであっ
た。

(番外編)へ続く。

渡辺浩『日本政治思想史 ― 十七~十九世紀』東京大学出版会(2010年)

読み終えた部分。

序 章 本書への招待
第一章 「中華」の政治思想――儒学
第二章 武士たちの悩み
第三章 「御威光」の構造――徳川政治体制
第四章 「家職国家」と「立身出世」
第五章 魅力的な危険思想――儒学の摂取と軋轢
第六章 隣国の正統――朱子学の体系
第七章 「愛」の逆説――伊藤仁斎(東涯)の思想
第八章 「日本国王」のために――新井白石の思想と政策
第九章 反「近代」の構想――荻生徂徠の思想
第十章 無頼と放伐――徂徠学の崩壊
第十一章 反都市のユートピア――安藤昌益の思想
第十二章 「御百姓」たちと強訴
第十三章 奇妙な「真心」――本居宣長の思想
第十四章 民ヲウカス――海保青陵の思想
第十五章 「日本」とは何か――構造と変化
第十六章 「性」の不思議
第十七章 「西洋」とは何か――構造と変化
第十八章 思想問題としての「開国」
第十九章 「瓦解」と「一新」
第二十章 「文明開化」
第二十一章 福沢諭吉の「誓願」
第二十二章 ルソーと理義――中江兆民の思想
あとがき

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