ダグラスの「A+B理論」再考
kyunkyunさん、どうも。
>こんにちは。
ダグラスの経済理論について、
中村三春著 : 「モダニスト久野豊彦と新興芸術派の研究」 の中に、
次のような記述がありました。
http://repo.lib.yamagata-u.ac.jp/bitstream/123456789/6552/1/KunoToyohiko.pdf
第二編 久野豊彦とダグラス経済学
「ダグラス経済学の評価」 より~
上記、資料は以前私も、
山森亮『ベーシック・インカム入門』光文社新書(2009)(2)
に参照しました。ご指摘の部分、改めて目を通しました。そこで、図解を
してみるほうが分かりやすいと思いました。下図を見て下さい。
賃 |
利 |
減 |
潤 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
原材料製造業者 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
製造業者 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
卸売業者 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小売業 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
銀行 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
利子生活者 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
労働者 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
減価償却 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
資本家 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
更新投資 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
新投資 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
■「A+B理論」の再解釈
略記は、以下のようです。
賃 → 賃金
利 → 支払利子
減 → 減価償却
潤 → 利潤
仮定1.労働者の収入は賃金のみ。貯蓄する余裕なし。
仮定2.資本家の収入は利潤のみ。貯蓄可能。
仮定3.利子生活者は利子収入のみ。貯蓄可能。
①1年間の経済活動の中で、労働者、資本家、利子生活者へそれぞれ、報酬が分配される。
②労働者は貯蓄する余裕がないので、賃金収入はすべて消費に当てられる。
③資本家は、基礎的消費に必要な収入以上の大きな収入を利潤として得ているので、彼は常に、消費するか、貯蓄するか、それとも、自分の経営する企業に投資するか選択できる。
④利子生活者も、基礎的消費以上の収入を利子として得ているので、常に、消費するか、貯蓄するか、の選択ができる。
⑤何年か、同規模の経済循環が続き、毎年、同じ、賃金総額、利子総額、利潤総額が、実現しているとする。
⑥⑤の状態が実現しているということは、減価償却総額+利子総額+利潤総額に等しい金額の支出が行われていることになる。
⑦減価償却は機械設備の減耗であるから、その摩滅に等しい更新投資が行われる可能性は高い。
⑧問題は、利子生活者・資本家がその収入をすべて消費に充てることは考えられず、常に、マクロ的に貯蓄する部門であることである。
⑨にも関わらず、経済循環の規模が維持されているとするならば、利子生活者、資本家の貯蓄総額に等しい新投資が行われている、と考えられる。
⑩その新投資が、新たな生産能力増強に結びつくなら、新投資が行われるたびに、次年度のデフレ・ギャップ(=生産能力―総消費)を拡大していることになる。
⑪もし、資本家、利子生活者が貯蓄総額を実物投資にまわしてないなら、更新投資や新投資の資金はどこからファイナンスされるのか。それが、銀行融資であり、特に銀行の信用創造によって企業部門に投下されている、と考えられる。
⑫⑪が繰り返されていると、デフレギャップが増えるだけなので、恐慌の可能性は高まる一方となる。
⑬デフレギャップを拡大せず、なおかつ利子生活者・資本家の貯蓄総額に等しい投資は何か。
⑭現代経済は、都市基盤を初めとして多大な社会資本を利用して循環している。当然、そのメンテナンスが必要で、この方面が生産能力を拡大しない、更新・新投資先と考えられる。
⑮では⑭の原資はどうするか。これを利子生活者+資本家への、あらなた課税として吸収することは、政治的に困難。そこで、これまでは、国債を発行してファイナンスしてきたが、それも現状では、困難。
⑯そこで、信用および信用創造を公的部門に回収することで、ファイナンスすることが考えられる。これが、ダグラスの言う、ソーシャル・クレジットに相当する。
⑰端的には、政府通貨だが、地方政府通貨として自治体(県レベル)で発行することが有効性が高いかもしれない。
以上、だらだらと書いてしまいましたが、とりあえず、ここで切ります。不明な点などありましたら、ご指摘ください。
〔参照 2012/04/19追記〕
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コメント
kyunkyunさん、どうも。
BBSのご紹介、ありがとうございます。
まだ、ちょっと忙しく、集中して読めない状況にあります。恐縮ですが、そのうち、ということでご寛恕ください。
その代わりと言ってはなんですが、張間氏のブログでのkyunkyunさんのポストにサクッとレスしてみますので、新記事をお読みください。
投稿: renqing | 2012年4月21日 (土) 12時46分
こんにちは、renqingさん。
お久しぶりです。
その節は色々と教えていただき、ありがとうございました。
ダグラスのA+B理論について、張間さんのブログの方でも質問コメントをしましたが、こちらのベーシックインカム専門の掲示板でも、同類の質問を伺っています。
前に教えて頂いたことも含めて、まだまだ理解は浅いのですが、よかったら覗いてみて下さい。
http://basicincome.progoo.com/bbs/
投稿: kyunkyun | 2012年4月20日 (金) 17時45分
kyunkyunさん、どうも。
応答が遅くなりがちでごめんなさい。
時間要素を考慮しても、それほど大きく変わらないと思われます。(つまり、ダグラスの、A+B>A理論が、資産家=資本家+利子生活者は、その収入に見合う消費はしないと前提するなら、彼の議論は正しい。だから、資本主義経済ではどうしてもデフレギャップが発生し、それを埋めない限り恐慌になる、という結論になる。2012.04.15追記)
要点は、「所得」と「キャッシュ」の違いにあります。
上の図をご覧下さい。
各流通段階で、売り買いが実行されます。支払いは概ね三通りの仕方で実行されます。
①キャッシュでの支払い。
これは、支払い側の手元現金が潤沢にあることが前提です。それは二つの場合に分けられ、過去の利潤が蓄積されて、手許現金が潤沢な場合と、銀行からの運転資金の融資(=短期貸付金)によるものとがあります。
②支払手形での支払い。
支払い側が期日のある手形を振り出して支払いに充当するものです。当然、売主からみれば支払いを猶予するものですから、大抵は、その分の利息がついた金額になります。
手形を受け取った企業は、手元現金が潤沢なら、手形期日まで(手形が落ちるまで)待ちます。そうでもない企業は、取引銀行に受取手形を持ち込み、割り引いて現金化します。
③買掛金として処理する場合。
支払い側に相当の信用力があったり、商習慣として決済間隔が短い場合(月払い、など)、長年のルーティンな取引などは、手形の印紙代が結構ばかになりませんので、互いの決済状況がしっかり把握できるなら、売り掛け、買い掛けで処理します。
日本での取引では、②が多いのではないかと思います。ですから、日本の商業銀行の短期資金供与はたいてい手形割引です。単名手形での手形貸付もありますけど。
17世紀末葉、イングランド銀行が設立され、民間に資金供給をはじめますが、手形の割引業務から始めています。このため市中金利が低下し、ゴールドスミス業者(高利貸し)が苦境に陥り、結構つぶれたようです。
上記のように、支払いが現金で行われれば、その収入は販売企業にとっては即、所得となります。一方、手形で受け取るなら、それは大抵、手形割引に廻され、現金化されます。
つまり、所得の流れから見れば、途中途中でタイムラグが発生しますが、現金の流れで見れば、金融が発生しますので、タイムラグは発生しません。企業は、現金振込みで入ってきた現金だろうと、手形割引で現金化したものであろうと、その従業員に現金(=振込み)で報酬を支給出来ます。従業員にとっては雇用主が金策して作った現金だろうと、振込みで入ってきた預金であろうと、報酬の金額が変わらなければ、無差別に受け取ります。
したがって、流通の各段階で順調に決済が進むなら、それにしたがって、労働者への賃金も順調に支払われ、それは労働者の消費に充当されます。
社会全体で見れば、過去の蓄積資金から再び流通過程に現われたキャッシュ(自己資本)もあるでしょうし、銀行の信用創造によって生み出されたキャッシュ(短期債務)もあるでしょうが、やはり、各段階のそれぞれで、売上-仕入原価は、労働者の賃金、ないし資本家の利潤となり、それほどのタイムラグなしに「所得化」すると考えられます。
投稿: renqing | 2010年7月20日 (火) 05時43分
こんにちは。
ダグラスのA+B定理評に対する、もしかしたら・・・? 一つの回答ではないか・・・? と、思えるような記述を見つけました。
それは、
「反論者は "時間要素" を考慮していないのではないか?」 というものでした。
◆ ルイ・エバン - 『社会信用・健全な経済のために』 より~
http://www.anti-rothschild.net/material/41_06.html
“購買力については、生産過程で発生する原価は2つのカテゴリーに分けられるとダグラスは説明している。
1.労賃のように個人すなわち消費者に分配されるお金。
ダグラスはこれらの原価を支払い 「A」 と呼んでいる。
2.原材料費や機器設備費などとしての他の組織への支払い。
ダグラスはこれらのコストを支払い 「B」 と呼んでいる。
両方の原価 「A」+「B」 が価格に含まれる。
消費者は支払い 「A」 を受け取るが、価格は 「A」+「B」 の複合である。
もし消費者が、生産過程での支払い以外の源泉から 「B」 に等価なお金を手に入れないならば、 「A」 が 「A」+「B」 を買えないことは明らかである。”
“正統派の経済学者が挙げる第一の反論は、支払い 「B」 を受け取った他の組織がその従業員や株主にそれを分配するので、支払い 「B」 は遅かれ早かれ支払い 「A」 に等しくなるということである。
この反論の短所は、"遅かれ早かれ" という言い回しの中にある。
なぜならば、反論者は時間要素を考慮していないからである。
ダグラスはそれを考慮しているのだ。
時間当たり100回転と分当たり100回転はいずれも100回転であるが、それらは同じでないということを彼はエンジニアとして知っている。”
“次の推論についてどう考えますか?
「この世に生まれた全ての人間は早かれ遅かれ死ぬ。 かくして、死は生を流動化する。 だから、世界の人口は増加しないし、減少もしない。 それは均衡している。」
あなたはきっと次のように答えるでしょう。
「そんなアホな。 誕生による人口増加速度と死亡による人口減少速度を考慮してへんがな。 その速度が同じであるはずがないやんか!」
ところで、正統派経済学者は、まさに上記の推論のように考えている。
彼らは価格の設定される速度を考慮していない。
その速度は、最終製品の全原価を支払うための購買力分配の速度と同じではない。
新しい最終製品が店の棚に現れたときと同時に、その価格も消費者の前に現れる。
しかし、購買力の要素(支払い 「A」 と支払い 「B」)は、異なる時期に消費者に到着する。
あるお金は最終製品が現れる前に到着するが、あるお金は遅れて到着し、決して到着しないお金もあるのだ。”
◆ ゲゼル研究会より~ 『クリフォード・ヒュー・ダグラス』 (森野 榮一)
http://www.grsj.org/colum/colum/dagras.html
“しかし、経済学者たちによる非難は二つの矛盾した考えによるものであった。
すなわち、
1.費用と所得の差は、費用がすべて賃金や給料などとして事前に支払われた金額であることをダグラスが理解できないために生じた幻想であるとして、ダグラスの分析の要点である時間要因を無視している。
2.この差は金融及び財政制度が新たな生産を刺激し、雇用水準の維持に有効に働くとして、ダグラスの基本的な視点、つまり生産の目的は 「雇用」 やその他の金融目的ではなく、消費者の利用のためだとする見解を無視していた。”
◆ リチャード・C・クック著 - 『C.H.ダグラス:通貨改革のパイオニア』
http://www.anti-rothschild.net/material/41_01.html
あまり良く理解出来てはいないのですが・・・
これは、
「"時間要因" を考慮するならば、ダグラスのA+B理論は間違っていない」
ということなのでしょうか?
投稿: kyunkyun | 2010年7月13日 (火) 16時00分
すみません。
論文のリンクが上手く貼れなかったようなので、元リンクを載せておきます。
◆ 『アルバータ社会信用運動の背景と諸相』 - 塩崎弘明
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000985713
こちらはかなり古いものですが(1936年)、
社会信用論と 「社会信用党」 という政党についての文献もありました。
◆ 岩井茂著 - 『社會信用黨と社會信用論 (一)』
http://www.lib.kagawa-u.ac.jp/meta-bin/mt-pdetail.cgi?cd=00003994
◆ 岩井茂著 - 『社會信用黨と社會信用論 (二)』
http://www.lib.kagawa-u.ac.jp/meta-bin/mt-pdetail.cgi?cd=00003995
投稿: kyunkyun | 2010年7月 8日 (木) 18時26分
renqingさん、こんにちは。
先の記事で紹介して下さっている、ケインズ著 『雇用・利子および貨幣の一般理論』 の中に、
「彼の下した診断の細部、とりわけ A + B定理とやらには、眉唾としか言いようのないものもたくさんある。
もしダグラス少佐が彼のB項目を、取替や更新のための当期支出に充てられない企業者の金融的準備に限定していたなら、彼はもっと真理に肉薄していたであろう。
しかしその場合でも、これらの準備が、増加した消費支出ととも多方面における新たな投資によってもまた埋め合わせられる可能性のあることは頭に入れておく必要がある。」
というケインズの評言がありましたが、塩崎弘明という方の論文の中にも、同じように評されている部分がありました。
◆ 『アルバータ社会信用運動の背景と諸相』 - 塩崎弘明
http://ci.nii.ac.jp/els/110000985713.pdf?id=ART0001163345&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1278575571&cp=
2.ダグラス = ニューエイジ提案 より~
(* pdfファイル、3ページ目以降より~)
「マクファーソン (C.B. MaCpherson) が指摘する様に 「ダグラスの本領は技師にあった」。
そして中世のギルドの職人がダグラスの描く技師の理想像でもあった。」
「彼が最優先させた考えは職人の如き個人の自由の確立であって、人生の目的は労働それ自体にあるのではなく、自己開発と余暇利用にあると主張した。
又生産の目的は仕事それ自体にあるのではなく、消費にこそあるというのがダグラスの根本的考えであった。」
(注7)
アナーキズム的考えが根底にあった。 ( New Age, May 27,1920)
「それ故実際的、実用的それに加えて物事を具体的に考える技師ダグラスにとって、生産と消費のバランスを崩す 「抽象的」 な夾雑物としての既存の金融資本又は金融制度は容認し難いものと映った。」
(注8)
「文化的遺産」 (Cultural Heritage)、「国家配当」 (National Dividend)、「公正価格」 (Just Price) が社会信用説の三本柱。
“要するに素人の域を出なかったダグラスの経済的知識は、金融・財政問題を経済問題全般の元凶と見なす 浅薄さの基となった。”
(注9)
特に金融論についてはジャクソン (Jackson) やキトソン (Kitoson) に全面的に依存する。
“それに又金融・財政問題の理解につても、例えその説くところが具体的、応用的であるとはいえ、所詮素人談義の域を出るものではなかった。”
(注10)
その代表例が有名な 「A+B理論」 である。
ここで塩崎弘明さんは、「A+B理論」 について詳しく書かれてている訳ではありませんが、「所詮素人談義」 と評されています。
ケインズも 「眉唾」 であり 「人を煙にまくだけのもの」、と評しているのですが、やはり、どこがどう 「眉唾」 なのか・・・ わかりません。。
投稿: kyunkyun | 2010年7月 8日 (木) 18時06分