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2011年1月 4日 (火)

「系譜学」から「機能学」へ(1)

 これまでの「Why」を問う歴史学的思考とは、「系譜学」的なものが主流である。

 我らが Max Weber 御大の、資本主義の精神を遡及的に探求すると禁欲的プロテスタンティズムの倫理に行き着く、などが典型的だ。また、おそらく戦後日本を代表するであろう快作、関曠野『プラトンと資本主義』(1982年) で展開されている、資本主義をドライブする貨幣愛の祖型はプラトンのイデア論に遡源できる、というのも同じ思考様式と言ってよい。近年では、佐々木中が『切りとれ、あの祈る手を』(2010年) 他などで、ピエール・ル・ジャンドルを受けて喧伝する、《近代》を生み出したもろもろは12世紀に起きた教会法のローマ法による遺伝子組み換え、すなわち中世解釈者革命に端を発する、という議論の進め方も実は「系譜学」そのものである。日本政治思想史において戦後のエポックを作り出すかもしれないと出版当時学界に衝撃を与えていた、若尾政希『「太平記読み」の時代』(1999年) における、江戸の統治者イデオロギーを形成したものは儒学ではなく『太平記評判秘伝理尽鈔』である、というアプローチも「系譜学」的だろう。

 この思考法は歴史的事象を構成するもろもろ「資源 resources」が、元来なにを起源とするものなのか、に答え得る。しかし、なぜ、ある時期、ある場所で、その歴史的事象が生成したのか、またその歴史的事象が流産や未熟児とならず、立派に(?)の成長したのはなぜか、という問いに答えられない。

 ではその問いに答えるにはどうしたらよいのか。まず、「系譜」「起源」的なものをいったんかっこに括り、その歴史的事象を構成するもろもろの要素 がいかに組み合わさっているのか、それが以後も解体や空中分解せず維持できているのならそのためにどのような、人的・物的・観念的資源やエネルギーが必要 であり、供給されているのか、という「機能学」がそこに必要となる。

 資本主義的西欧の生成とその後の覇権、徳川日本の生成と260年におよぶ継続と没落。これらを機能学の立場から首尾一貫して納得的に説明すること。これが私の2011年の課題だ。

〔参照〕 「系譜学」から「機能学」へ(2)

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