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2011年2月

2011年2月28日 (月)

チーム・マネジメントにおける現在と未来

 まず、前日本代表監督の、現在の発言を聞こう。

――今月末2月26日(土)には家長選手の所属するマジョルカがバルセロナと対戦します。家長選手に対して、岡田さんはどういう印象をお持ちですか?

家長は実を言うと、ワールドカップの時に23人のメンバーにサプライズで入れようか最後まで悩んだ選手。彼は、すごいポテンシャルと決定的な武器を持っている。体の強さ、スピードに技術。パスするふりをして相手を抜く選手はいるけど、相手と向かい合って “さぁいくぞ”という状態から、1対1で勝負できる数少ない日本人。今は、香川や宮市も出てきたけど、その中でも家長が持っているモノはピカイチだと思っています。
スペインサッカー リーガ・エスパニョーラ|WOWOWオンライン

 代表監督に求められるのは、勝利という名の「現在」と、次世代の強化という「未来」のバランスをぎりぎりまで追求することだろう。それからすれば、彼の口から、上のような発言を今さら聞きたくもない。私から言わせれば、「それなら使えよ!」だ。彼の選手起用をみると、ブラジル大会を見据えた日本代表の成長という視点がまったく感じられなかった。強化の視点(未来)が感じられれば、たとえ勝利(現在)が伴わなくとも、これほど閉塞感を代表のゲームに感じることはなかったのではないか。さらに言えば、次世代を交えたとき、戦力が低下していたのかといえば、香川、家長のポテンシャルを考えれば、トータルした戦力はむしろ上がっていたのではないかとさえ思える。今さらながら腹が立つ。

 前日本代表監督と似た印象を持つのは、バルセロナのジョゼップ・グアルディオラ監督だ。選手起用で疑問を感じるのは、バルサの背番号9番(すなわちCF)をつけたボージャン・クルキッチ(満20歳)を使わない点。今のバルサのFWの席は、左からペドロ、ビジャ、メッシ、と三人あわせて56点(今シーズン、リーガ)を稼ぎ出すスーパーな選手たちで満杯だ。したがって、勝利を優先すれば、可能ならば現状のベストメンバーで戦い続けたほうがよいに決まっている。しかし、下記の表を見てもらえば一目瞭然だが、

位置 番号 選手名 生年 年齢 平均年齢
GK 1 ビクトル・バルデス 1982 28
DF 2 ダニエウ・アウヴェス 1983 27 28.25
DF 3 ジェラール・ピケ 1987 23
DF 5 カルレス・プジョル 1978 32
DF 22 エリック・アビダル 1979 31
MF 6 シャビ 1980 30 26
MF 8 アンドレス・イニエスタ 1984 26
MF 16 セルヒ・ブスケツ 1988 22
FW 7 ダビド・ビジャ 1981 29 25
FW 10 リオネル・メッシ 1987 23
FW 17 ペドロ 1987 23

ビジャの年齢を考えると、現在ピーク・アウトを迎えているわけで、この1,2年で後継者を定めなければならないのはほぼ確実なのが実情だろう。だからこそ、バルサはボージャンに9番のユニフォームを着せたと考えられる。しかしながら、その使い方は、はっきり言って残務整理でしかない。CFはそのキャリアのピークを迎えているビジャを使わなければもったいないし、投入コストからみて不合理だ。左ウィングは勝負強く若いペドロが確実に結果を出している。右ウィングはいわずと知れたメッシで動かしようがない。そうなると、追走してくるレアルを蹴落とすことを考慮すれば、勝ち続けためにベストメンバーでゲームに臨まなければならないのは理解できる。しかし、今のバルサのCFビジャの使えなくなるのを待ってボージャンをリザーブに残しているなら、バルサの未来のCFの成長する機会をむざむざ逸してしまうことにしかならない。ここは攻撃陣もローテーションを組むしかないだろう。もしくは、ペップの左ウィングのファーストチョイスがどうしてもペドロなら、ボージャンを他チームへ(完全買取条項を含まない)レンタル移籍でビッグゲームでの実戦経験をつませる必要がある。それをもしないのであれば、いわば飼い殺しに等しいのではないか? 結局、若手が成長する最高の糧は公式戦以外ないのだから。

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2011年2月25日 (金)

日米安保教について

 これは華夷秩序の問題というべきだろう。 <p><p><p>- no title specified</p></p></p>

名称

日米安保教

ご本尊

The United States of America

経典

日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(日米安保条約)

外典

日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(日米地位協定)

伏魔殿

外務省、防衛省

祭司

外務省北米局員、ほか

信者

日本列島の住人のうちの約7割(?)

アメリカ合衆国政府の国務省および国防総省に極少数

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他人の空似(フットボーラー編3)

■前田遼一(日本代表FW、ジュビロ磐田所属)

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■松重豊(俳優)

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2011年2月18日 (金)

徳川前期の「文明開化」

 徳川前期のエポック・メイキングな事柄は、中国大陸における明清革命1644年)、すなわち明から清への王朝交替(「華夷変態」)である。大陸におけるこの大変動の余波は、徳川前期日本に静かだが、深く長い影響をもたらした。

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2011年2月14日 (月)

徳川社会の複雑化と吉宗(後編)

 吉宗の父、第二代紀州候徳川光貞は、将軍家綱吉と関係を深めるべく、嫡男に綱吉の娘、鶴姫を娶わせる。その関係強化の一環として、徳川家儒官木下順庵からその弟子、榊原篁洲の推薦を受け入れた。

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徳川社会の複雑化と吉宗(前編)

  グローバルヒストリー的な視角から、列島史上最も優れた事績を挙げた政治家とは誰か。これは18世紀の徳川吉宗をおいて他にいまい。この人物がいかに時代に卓越していたか、検証するのがこの小論の目的である。

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2011年2月13日 (日)

眼球は自分を制御するためにある(2)

 釜本邦茂はかつて、シュートを打つ際、決してボールから目を離さないこと、それがシュートをふかさないポイントだ、と言っていた。これは、単にボールの重心を正確にミートするための心構えだと理解していたが、実は、自分の足をボールの重心に正確に誘導するためのものであったのかも知れない。

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自分の声を自分の耳で聞くことはできない

 何年も前に、プロの声楽家に確認してみたことがある。自分の耳で聞く自分の声と、聴衆が聞いているあなたの声とは違いますよね。回答は、その通り、自分が聞く自分の声は、自分の声帯の振動が、頭部の骨を通じても鼓膜に伝わってしまうので、自分の歌声を自分の耳で、正確に聞き手が聞いているようには認識できない、と。したがって、プロの声楽家は、自分の声を、プロの声楽指導者である他者にチェックしてもらうしか方法がないのだと。だから、自分の声を録音で聞くと変な感じがするでしょう?と。

 このエピソードを思い起こしたのは、あることが気になったからだ。それは、我々が手にしている近代的学問の枠組は、すなわち大学で教授されるような組織的な学問の枠組は、ほぼすべて西欧近代に負っている。そのため、我々日本人の手持ちの、西欧近代像は、実はそのほとんどが西欧近代自身の記述の所産であり、描像なのだ。我々の脳裏に存在する、「近代西欧」像とは、西欧近代の自画像、ないし自己像 self-image に他ならない。

 おそらく、そこには、声楽家が自分の声を、自分の耳で正確に聞くことが原理的にできないことと共通するアポリア(あ、西欧語だ、笑)がある。少なくとも、そう疑う余地は多いにあり、そう一度は考えるべきだろう。

 私が徳川日本の「近代性」の正負両面を、西欧近代と双対 dual なものとして考えようと企てているのもそのためだ。そこからしか、人類の「近代」をやり直すことが、どうもできないのではないか、というのが私の出発点である。

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眼球は自分を制御するためにある

 普通、視覚は外界の情報を知るためにあると思われている。

 確かにそれもある。しかし、それと同じくらいの重要さで、自己の身体の、外界との相関情報をキャッチし、その身体を制御するためにあるのだ。

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2011年2月12日 (土)

塩沢由典著『複雑さの帰結』NTT出版(1997)(3)

塩沢由典著『複雑さの帰結』NTT出版(1997)(2)、より

コンメンタール第2回目

プロローグ「複雑さの学としての経済学」p.3~p.24

の続きです。 次に、Weaver,Warren.[1948] "Science and Complexty"という複雑系研究のマニフェストとも言える論文に触れています。Weaverのこの論文は重要なものなので一度は直接文献に当たるべきもののようです(私は怠慢にも未見です!)。

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塩沢由典著『複雑さの帰結』NTT出版(1997)(2)

塩沢由典著『複雑さの帰結』NTT出版(1997)(1)、より

コンメンタール第1回目
です。プロローグ「複雑さの学としての経済学」p.3~p.24

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塩沢由典著『複雑さの帰結』NTT出版(1997)(1)

 下記は、十年ほど前に作っていた自HPに書いた文。誰かの役に立つこともあろうかと思い、埃をはたいてそのまま掲載する。行文が妙なのはそういったこととも関連する。また、このシリーズは(1)、(2)(3)で終了する。その時はそれで頓挫したからである。いまから新たに続けるにはエネルギーがかかりすぎるので再開はしない予定。

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2011年2月 8日 (火)

他人の空似(フットボーラー編2)

中田英寿(元日本代表MF)

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桜井和寿(Mr.Childrenのボーカリスト・ギタリスト)

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2011年2月 7日 (月)

17世紀末儒家のゴッドファーザー、木下順庵

 徳川前期から中期にかけて、注目すべきキーパーソンがいる。木下順庵(1621~98)である。

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支配からマネジメントへ ― 啓蒙の系譜(綱吉・白石・吉宗) ―〔徳川史③〕

 第五代将軍徳川綱吉は、列島史上初めて、それまで統治者の支配の客体でしかなかった民に、「徳」(儒教的な)を求めた君主である。

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他人の空似(フットボーラー編1)

遠藤保仁(日本代表MF、ガンバ大阪所属)↓

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佐藤竹善(歌手、Sing Like Talking所属)↓

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佐藤竹善の「木蘭の涙」(オリジナルはスターダストレビュー)

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2011年2月 1日 (火)

経済学は、呪術である/ Economics is a spell.

 経済学者には頭の悪い人物が多く、現在の大学、大学院で教えられていることがほとんど有効でないことを天から認めない傾向が強い。

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