徳川社会の複雑化と吉宗(後編)
吉宗の父、第二代紀州候徳川光貞は、将軍家綱吉と関係を深めるべく、嫡男に綱吉の娘、鶴姫を娶わせる。その関係強化の一環として、徳川家儒官木下順庵からその弟子、榊原篁洲の推薦を受け入れた。
榊原篁洲は博学多才であり、その学問の中に明律研究があった。そのため、紀州徳川家は、列島における明律研究のメッカとなっている。なおかつ、彼は 日本における篆刻の草分け的存在であり、その技を、帰化した曹洞宗の明僧・東皐心越から直接学んでいる。結果的に榊原篁洲は明律に関する知識や明風文化を 紀州に持ち込んでいる。のちの吉宗が、明律研究に熱心であったことや、大陸、および西洋といった海外情報に敏感になるのは、当然このような前史が大きく影 響している。
吉宗は、この大規模化、複雑化した徳川社会に統治者として臨むに際し、極めて合理的で、特徴的なアプローチを取った。データの収集である。法に関 しては、過去の法(「御触書寛保集成」)や判例(「公事方御定書」)を収集整理した。それは法治国家の柱石といえる。次は人に関するものとして享保六年 (一七二一)人口調査を行ない、以後六年毎に人口調査が慣例化する。武士身分の人口が含まれていないなど、近代的人口センサスとは精度的にくらぶべくも無 いが、ヨーロッパにおいて近代的人口センサスが行なわれるのが、最初期のデンマークの一七六九年を初めとする一八世紀から一九世紀初にかけてなのであるか ら、吉宗の先見性は明らかだろう。三番目に、ものに関するデータ収集である。吉宗は、本草学者丹羽正伯に命じて諸藩に産物調査をさせ、諸国産物帳をまとめ させている。
吉宗が行なった社会の複雑化に対する施策は、もう一つある。彼の手足となる統治機構の合理化、いわゆる官僚制の強化である。これは二つの側面から
追求している。人材登用に、足高制のようなメリットクラシー(能力主義)を導入したこと。また、文書を介して統治機構が動くようにしたこと、すなわち、公
文書システムの整備(大石学
)の二点である。
こうして、徳川国家中興の祖となった吉宗であるが、その四〇年近くに及ぶ統治に、さすがに被治者たちも倦んでしまうのは無理もない。そのため、一
七五一年に吉宗が世を去り、翌年には吉宗を支えた大岡忠相が死去すると、文化的「雪解け」(中野三敏
)を迎えた。それは、事実上の学芸自由時代ともいえ、
ここに、列島史上において空前絶後の諸子百家の時代が出現した。そして、この時期こそ、田沼意次が出世街道を驀進していた頃合とぴったり重なっているので
ある。たまたま、ではあるが。
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