大震災と経済学
2011年3月11日午後、東日本太平洋岸を巨大地震と巨大津波が襲った。そして一ヶ月が経過した。
その後の経済の様子を観察していると一つ気付くことがある。それは、モノ(=財)はあり、カネ(お金の裏打ちのある需要)もあるのに、そこにモノが届かないため、経済の循環に変調を来たしたことである。
通常、大学で講義されるような価格理論では、ある財の需要がその財の供給を上回れば、その財価格が上昇し、どこかで需要と供給が均衡する(=等し くなる)。しかしながら、今回の首都圏での騒ぎが示していることは、財価格はほとんど変わらず、商店で行列が発生し、当座の在庫が切れて、行列が解散する、というものがほとんどだった。供給を上回る超過需要は価格調整(この場合は値上げ)によって清算されず、しばらく恒常的に残り、商店に財が補充されるたびに行列→品切れと いうパターンとなっていた。これは、ガソリン・灯油といった法的、行政的規制の比較的大きい商品だけでなく、電池、粉ミルク、ティッシュペーパー、など規制色のほとんどない商品でも同じだったのだから、普遍的事実といえよう。
つまり、通常、我々のような最終消費者が直面している、一ヶ月くらいを単位とする短期の市場メカニズムにおいては、経済学の教科書が描くような価格機構は働いていない、ということが判明する。
東日本に重要な供給源を持つ農産物、生産工場を有する産業部門、ないし、企業関連の製品の供給に関して半年といった中期的なタームでは、農産物供給や部品供給に制約が発生して、それが最終製品の供給を制約する可能性がこれから出てくるはずだ。だからその様子をみなければならないが、やはり製品価格の上昇ではなく、待ち行列+品切れ、ということに結末になるのではなかろうか。
このことは、つまり、短期的、中期的な市場メカニズムにおいて中核的機能を果たしているのは、生産(者)や消費(者)ではなく、商業と物流、すなわち「商人」だということを意味する。ところが、標準的な経済学の価格理論(ミクロ理論)の教科書には、生産(者)、消費(者)という言葉は、毎ページお目にかかるが、商業や商人という言葉を発見することはほとんど不可能でなのである。誠に不思議なことだと言わねばなるまい。
日本国外での生活が長い人々が日本での暮らしと比べて気付くことは、日本(東京だけではなく)は便利だ、とくに消費生活において便利だということ だろう。日本の産業の国際競争力について云々されるとき、生産ベースにおける労働生産性だけが突出して槍玉にあがるが、実は一国レベルの生産性や経済効率 を左右する実質的なポイントは、商業や流通機構の効率性なのである。どれほど生産現場で労働生産性が高くとも、必要なところに必要な時期で財が供給されなければ、その財が生産された意味がないのだ。これは最終製品においてもそうだし、中間財(たとえば部品など)において特にそうである。それからすれば、日本経済全体の効率性は、その商業・流通機構の洗練さから言って、かなり高いといえるのではなかろうか。
だとすると、これを経済史に翻案すれば、資本主義の経済が歴史的に立ち上がるとき、生産の効率化革命が起こる前に、商業・流通の効率化革命が起きる必要がある、と言うことになるだろう。実際、初期近代の西欧で起きたことを見れば、18世紀イングランドの「産業革命」(=物的生産性革命)が起きる 前、17世紀のオランダとイングランドを中心とした西欧において商業・流通革命(そして金融革命も)が起きている。
これは我々の素朴な資本主義観とかなり異なる。現代の経済学は、それ自身の力によって資本主義の経済効率性改善に寄与したことなど一度たりともなかったが、我々の資本主義観を根本的に歪める「効率性」は極めて高かったというべきだろう。これではどう贔屓目にみても、現実を隠蔽するイデオロギー以外の何ものでもない。
以上が、今回の大震災から私が得た貴重な教訓であり、経済学に対する私の暫定的評価である。
〔参照〕経済学は、呪術である
〔参照追加〕2011/06/10
有効需要と価格硬直性
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コメント
御無沙汰です。おもしろいですね。例のスティグリッツの「入門経済学」に取引と貿易という項目がありますが、そこにリカードの「比較優位原理」がでてきます。そして「自発的交換は、それにかかわるすべての当事者に利益をもたらす」というのがでてくるんですが、これこそ、まさに歴史の検証をぬいた、「呪文」ですね。
「自発的交換」って、純粋培養的に概念化なんて、できませんよね。ここが経済学の暴論です。
投稿: 白崎一裕 | 2011年5月 3日 (火) 14時50分
ご教示ありがとうございます。そう考えると、かのイギリス帝国がインドや中国に対する非対称貿易に「自由貿易」なる名前を冠せたのは、あれは詐欺以外の何物でもないですね。
たしかに自由貿易=域内貿易だった頃は、取引きコストが無視できたか、あるいは副次的なものとして差し支えなかったのでしょう。それをそのまま現代の世界貿易に当てはめてしまうところに、経済学のある種の頽廃を感じます。
投稿: まつもと | 2011年4月26日 (火) 07時42分
まつもとさん、どうも。
元来、「自由貿易」とは北の先進工業国と南の発展途上国の「貿易」を意味していませんでした。それは、16世紀後半から17世紀半ばにかけてアルプス以南の地中海世界が人口増により食糧不足に陥り、それをアルプス以北のバルト海世界のポーランドの穀物輸出でカバーしたこと、それを媒介したのが、地中海世界とバルト海世界の出入り口(gateway)にあるオランダだったことに、その起源を持ちます。そして、その「自由貿易」を担ったオランダ共和国が17世紀に覇権国となった。何しろ、戦争中の2国間においても、オランダ共和国は中立国の立場で両国と貿易をしていました。
つまり、「自由貿易」とは、元来、ある一定地域に多くの主権国家群が並び立つような、ヨーロッパの「域内貿易」に過ぎなかったわけです。したがって、「比較生産費(比較労働生産性)」説を主張する19世紀のリカードにおいても、イングランドの毛織物(綿織物でないことに注意!)とポルトガルのワインの「自由貿易」の数値例を持ち出すわけです。
これについては、「比較生産費」説は、その内容が説明していることに限っては正しいが、それと「自由貿易」参加者全員がメリットを享受できることとは全く別の次元に属する、という話題は別記事を書くことにします。
投稿: renqing | 2011年4月20日 (水) 11時50分
ご無沙汰しております。上の議論は、エマニュエル・トッドなどにも通じますが反自由貿易論への一つの視座となるでしょうね。流通や為替、短期的な不均衡をいっさい無視するところに合理性を見いだすのが自由貿易論ですから。
投稿: まつもと | 2011年4月20日 (水) 01時10分