浜野潔『歴史人口学で読む江戸日本』吉川弘文館(2011)
●読後感
本書がどのような書かは、本記事の下段にある詳細目次をご覧戴きたい。内容多岐にわたることはこの目次からもご了解頂けよう。その意味では、細かい議論をとりあげるほうが面白いのだが、生憎その余裕が今は無い。恐縮だが、私の雑駁な感想を記すことに留める。
久々の歴史人口学の啓蒙書なので、私としては大きな議論を著者から聞きたかった。少ないサンプルから統計的にある程度信頼可能な帰結を導くテク ニックを利用して、それほど潤沢とはいえない史料からいろいろな事実発見を導出している。が、それらはそれぞれ大事な一歩であるにしても、議論としては 少々細かい。いわば部品だ。それらのピースを組み合わせて、どのような徳川社会像を描くかが、このような啓蒙書においては必要なことのように愚考する。
卑近な例でいえば、Hayami school が提出した徳川17世紀の急激な人口増加(1500万人→3000万人鬼頭宏氏の説)という仮説は、すでに学界では「事実」として受け入れられているのだ ろうか。しかし、Hayami school の有力メンバーと思われる斎藤修氏からは、その帰結の史料操作上の外挿性につき鋭い批判が既に同時期に出ていた。
また、同じく斎藤氏から、Hayami school の大看板である、「勤勉革命 Industrious revolution」テーゼにつき、これまた鋭い疑義が提出されていたが、それは何らかの形で学問的に決着がついているのだろうか。
こういう門外漢の耳目を集めやすい大きな議論の妥当性が、現在の学界でどう考えられているのか。それをこの最新の概説書で伺えない、というのは残念な気がする。
また、「ユーラシア社会の人口・家族構造比較史研究」という歴史学界では空前絶後の大規模な研究プロジェクトもすでに十年前に完了し、その成果を日本近世史を巡る読書界に還元することもなされていいはずだ。
率直に言って、隔靴痛痒の感が否めない。ただし、読んで損は無い。推奨。
最後にひと言。
本書p.149に、幕末に活躍する、西郷隆盛、大久保利通を「下士」としている記述がある。「明治維新」は下級武士たちを担い手としていた、とは よく聞く議論だ。本書同頁にも磯田道史氏の議論を引いて、身分間の懸隔は士とそれ以外の諸身分より、士内部の上士と下士のほうが大きい事を指摘している。 その身分差を決定的にしているものが、御目見おめみえ以上かどうか、という違いである。つまり、将軍(あるいは殿様)といった主君に拝謁する資格があるかどうかが決定的だ。そして、西郷も大久保も御小性組。つまり、主君の(下級)秘書役。これは、身分としては御目見おめみえでなければならない。つまり、いくら貧乏してようと、西郷も大久保も、徒士かちと 呼ばれた身分ではないことを示している。だから西郷は島津斉彬の秘書役を、大久保は島津久光の秘書役を勤めることができた。NHKの「竜馬伝」をご覧に なった方は、武市半平太が実質的藩主の山内容堂や執政吉田東洋等から忌み嫌われた描写をご記憶だろう。これは、武市が郷士という御目見おめみえ以下の「卑賤」の身分だから。「西郷、大久保は下級武士だった」は、「御一新」を美化する、いわばためにする言説だと認識されたほうがよいだろう。ただし、著者である浜野氏がそれを意図しているとは言えない。大きく言えば、時代を覆うエピステーメーとはそういうものであり、opinion でさえも、権力者たちの操作可能変数であり得る、ということなのだ。
浜野潔 『歴史人口学で読む江戸日本』 吉川弘文館(2011)
目次
■歴史人口学の半世紀―プロローグ
歴史人口学/家族復元法/宗門改帳
■村の人口誌を読む
西条村の宗門改帳
美濃国西条村/宗門改帳の記載様式/現住人口と流出人口
人口情報から見た江戸の村
データ処理の方法/農民世帯の観察事例/ライフコースを読み取る
/西条村の人口変動/自然増加と社会増加
■江戸農民の生と死
村の婚姻と家族
西条村の結婚/初婚年齢/江戸時代は皆婚社会か?/結婚の終了理由
/「子なきは去る」は俗説?/再婚の可能性/家の継承
出生率の水準
出生登録の問題点/懐妊書上帳/合計結婚出生率の変動
農民の死とその構造
人生50年?/生存数と平均余命/イベント・ヒストリー分析
/死亡率を高める要因/西条村の人口動態構造
■人口から見た東西日本
地域人口の増加と減少
江戸幕府の全国人口調査/地域別の人口変動パターン
/地域人口の変動要因
二本松藩の農村人口
人別改/二本松藩の人別改帳/仁井田村と下守屋村
/農村人口の変動パターン
近世東北の「少子化」社会
人口減少理由/二本松藩農村の結婚パターン/出生率の水準と間引きパターン
/死亡率の水準/東北の「少子化」社会
東西日本の人口と家族
近世東北は後進的か?/江戸の「子ども手当」/芦東山の見た出産観
/近世日本の人口・家族パターン
■江戸の都市社会
近世都市人口の増加と減少
「都市の時代」としての近世/城下町安土の建設/城下町の建設ラッシュ
/三都の発展と人口/金沢と名古屋/その他の城下町/城下町の人口減少
/在郷町の発展と江戸のニューエコノミー
人口から見た幕末京都
近世都市の人口史料/京都の宗門改帳/下京・西堂町/西陣・花車町
/都市は蟻地獄だったのか?/雇用パターンの変化と都市の成熟
武士の歴史人口学
武士の宗門改帳/系図の歴史人口学/人口再生産は可能だったか?
/上士・下士・庶民
■人口増加への転換点
空白の四半世紀
全国人口の空白期/幕末維新の人口増加率/地域別人口変化の比較
米沢藩の改革と人口増加
武士人口の重圧/「名君」の蹉跌/新たな改革と人口増加の開始
開港のインパクトと人口増加のスパート
人口増加のスパート/人口増加のメカニズム
/人口から見た「近代」日本の始まり
人口減少社会をどう生きるのか―エピローグ
人口減少社会の始まり/1.57ショックと「少子化」/出生率の低下と家族類型
/現代の鏡としての江戸日本/江戸日本の経験に学ぶこと
あとがき
参考文献
〔参照〕
浜野潔『歴史人口学で読む江戸日本』吉川弘文館(2011)〔承前〕
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