フットボーラー中田英寿に関する仮定法過去
中田英寿は現役時代攻撃的MFとして活躍した。しかし、私の判断では、彼のフットボーラーとして傑出した総合能力からすると、守備的MFが最もその特性に相応しかったと思う。彼がそれを自認できていたら、今でも、例えば、トッティと並ぶ、ローマのスター選手としてプレーしていたろうし、想像上ではあるが、ローマの黄金期と共にクラブのレジェンドとして遇されていただろうと考える。
イタリアでの1998-1999シーズン開幕戦。当時世界最強クラブのユベントス相手に雨中、2得点。その後、セリエA1年目で、計10得点。翌シーズンの途中、ファビオ・カペッロ率いるローマへ移籍。
ここがフットボーラー中田英寿の分かれ道だったと思う。そもそも中田の獲得はカペッロの意志だった。カペッロは中田をトッティの控えとして、トップ下のポジションの選手層を厚くするために獲得したのではなかった。彼は、その前のシーズン、サッカー解説者として中田を追い、ローマ監督になってからも中田のプレーを観察し、その上でカペッロのチーム構想に必要と判断して中田をローマに加えた。
カペッロが用意したポジションは、中盤の底、守備的MFだった。これに中田が不満だったのは無理もない。中田はトッティとトップ下のポジション争いをする腹だったのだろう。しかし、カペッロは中盤の底なら先発で使うが、トップ下ならトッティがファースト・チョイスだった。これでは中田も思う存分プレーできないし、カペッロも「なら使わない」となる。
中田の最も競争力のある能力は「読み」だ。それは中田を被験者にして行われた心理実験でも、論理の鎖をたどるテストで常人を超えるハイスコアをたたき出していることからも伺われる。この「読み」が最も要求されるポジションはどこだろうか。それはディフェンス、それも敵の攻撃を早いうちに摘み取る守備的MFだろう。昨年の南アフリカWCで阿部が担い「アンカー」と呼ばれたポジションがそうだ。
どんなスポーツでも主導権は攻撃側にある。それはフットボールも例外ではない。したがって、ディフェンスの「読み」を裏切るような、プレーにおけるイマジネーションが攻撃的プレーヤーに要求される。逆にいえば、守備的プレーヤーには、常に敵攻撃陣の意図への一手先の「読み」が、そいう言う意味での「頭のよさ」が必要とされるわけだ。
中田は、その守備的MFに最高の能力を備えていた。ゲームや相手プレーヤーの動き、味方のポジション、ボールの行方。それらの複雑な多元連立方程式をプレーの際中に瞬時に解き、可能な限り、正しい動き、位置どり、プレーをを選択する。この能力に秀でていた。それに加えて、強い体幹と足腰からくるボディバランス。雨中のユベントス戦のぬかるんだピッチで2得点したのはその賜物だ。そして正確なキックと強いキック力。実証済みの攻撃力による、タイミングのよい攻撃参加は相手DFを混乱と恐慌に陥れていただろう。つまり、その戦術眼と身体能力が守備的MFにピッタリだった。
カペッロは、そういうことを中田に期待した。ASローマを再建するにあたって、攻撃の中心をトッティ、中田を守備の中心に据える腹積もりだったのだろう。カペッロは守備的戦術がうまい監督だ。だから、その戦術でレアル・マドリッドでもリーガを一度制覇した。その監督がディフェンスの要として見込んだのが中田だった。これがうまく回っていれば、2000年代前半にASローマはセリエAとCLで新たな歴史を作り、黄金期を謳歌していたかも知れない。その時、中田はバロンドールでさえその手に収めていた可能性がある。ま、イタリア・カルチョの世界ではバブルが弾けたこともあるので、そう事がうまくいったかは外部的要因にも左右され、わからないのではあるが。
以上、footballに関わる仮定法過去の話題で、間遠くなったこのブログの久し振りの更新の責を果たしておくことにする。
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コメント
fearon さん
>あと、彼は弱小カウンターチームにはもってこいの選手。
現役時代から、よくそういうことを言われていました。実際、ビッグクラブ(ローマ)や準ビッグクラブ(当時のパルマ)では、十分な結果を残していません。
ただ、それは中田のコミュニケーション能力の問題で、フットボーラーとしてのクオリティの問題ではないと思います。
このブログの過去記事でも触れましたが、中田は自分の「頭の良さ」に自信を少々持ちすぎていて、小さなクラブでは他を睥睨できたのですが、さすがにビッグクラブに入るとその自尊心が逆に作用した、と思います。つまり、彼が欲していたのは彼の知能とタレントに対する周囲の敬意であって、仲間ではないということです。それが当時の日本代表にネガティブな影響を与えていたと思います。
中田と長友を比べるとよくわかります。コミュニケーション能力とは、外国語を巧みに操ることではなく、周囲と「仲良くしよう」という志向の問題だと。
香川真司があれほど早くドイツのクラブにフィットしたのは、彼の才能というだけではなく、ドルトムントという若いチーム(先発メンバーの平均年齢は20代前半)の部活のようなノリが、彼のチームへの溶け込みを早くしたのだと思われます。クロップという熱血監督が作り上げたチームのカルチャーのおかげです。
投稿: renqing | 2011年8月20日 (土) 12時24分
僕は、中田はトレスボランチの一角として置けばよかったと思っています。今野ほど守備ができるわけでもなく、トッティほど攻撃的ではない。で、トップ下とボランチ(アンカー)の間。
ボローニャ時代は、そこでやっていましたよね。
あと、彼は弱小カウンターチームにはもってこいの選手。長い距離走れるし、相手が前がかりになってたときに出すスルーパスは見事でした。
投稿: fearon | 2011年8月 5日 (金) 23時03分