身分再考(2)
「プディングの味は食べてみなければわからない」という有名な言葉がありますが、プディングのなかに、いわばその「属性」として味が内在していると考えるか、それとも食べるという現実の行為を通じて、美味かどうかがそのつど検証されると考えるかは、およそ社会組織や人間関係や制度の価値を判定する際の二つの極を形成する考え方だと思います。身分社会を打破し、概念実在論を唯名論に転回させ、あらゆるドグマを実験ふるいにかけ、政治・経済・文化などいろいろな領域で「先天的」に通用していた権威にたいして、現実的な機能と効用を「問う」近代精神のダイナミックスは、まさに右のような「である」論理・「である」価値から「する」論理、「する」価値への相対的な重点の移動によって生まれたものです。
丸山真男 『日本の思想』岩波新書(1961年)、p.157
《身分の溶解》が都市化やぜいたく禁止法の廃止と関連することを指摘するのは、川北稔*である。
*川北稔 『イギリス近代史講義』講談社現代新書(2010)
、第一章「都市の生活文化はいかにして成立したか」、pp.39~52
われわれからすると、上流の生活を送ってい れば上流なのだというのは当たり前ですが、もともとはそうではありませんでした。どのような恰好をしていても、上流は上流、農民は農民だったのですが、見 かけがむしろ優先される社会になっていきます。これが都市生活の大きな特徴です。この現象は十六世紀の後半ごろにロンドンで成立します。
川北稔、同上、p.52
人々を行動(生産)に駆り立てる不安、行動(生産)を通じてしか他者に表せないアイデンティティー。これが資本主義的、あるいは近代精神のダイナミクスとほぼパラレルであり、成長パラノイア的心性と等価なのは明らかだろう。
〔参照〕
①身分再考
②川北稔『イギリス近代史講義』講談社現代新書(2010年)〔その1〕
③人には生まれながらに尊卑の別がある
④人には生まれながらに尊卑の別がある(2)
| 固定リンク
「法哲学・法理論/jurisprudence Rechtsphilosophie」カテゴリの記事
- Toward a Shift from ”an Orientation to Acquisition and Property” to ”One of Care and Obligation”(2025.07.06)
- 大日本帝国憲法(2025.06.03)
- Der Kern des Liberalismus ist nicht die Freiheit, sondern die Gerechtigkeit(2025.05.25)
- The core of liberalism lies not in freedom, but in justice(2025.05.25)
- From Power to Morality: The Long And Winding Road(2025.03.15)
「資本主義(capitalism)」カテゴリの記事
- Die Mentalität der „Wachstumsparanoia“: „Karrierismus“(2025.04.27)
- The Mentality of "Growth Paranoia": "Careerism"(2025.04.27)
- The Beginning of the End of the Postwar Regime(2025.04.08)
- 「戦後レジーム」の終りの始まり(2025.04.08)
- 「資本主義」の歴史的起源/ The Historical Origins of “Capitalism”(2024.11.22)
「川北稔(Kawakita, Minoru)」カテゴリの記事
- Die Mentalität der „Wachstumsparanoia“: „Karrierismus“(2025.04.27)
- The Mentality of "Growth Paranoia": "Careerism"(2025.04.27)
- Kawakita, Minoru, A World History of Sugar, 1996 [summary and comments].(2022.03.21)
- ファッションと国制史(身分と「奢侈禁止法」)/ Fashion and 'Verfassungsgeschichte' (status and "sumptuary law")(2019.11.18)
- 川北 稔 『砂糖の世界史』1996年〔要約とコメント〕(PDFファイルを添付20180212)(2012.09.29)
「生活史 (History of Everyday Life)」カテゴリの記事
- ドラード和世陀:日本の カサ・ミラ〔2〕/ Waseda El Dorado: Casa Milà, Japón〔2〕(2023.09.20)
- 沢田マンション:日本の カサ・ミラ〔1〕/Sawada Manshon: Casa Milà, Japón〔1〕(2023.09.19)
- 日本の若者における自尊感情/ Self-esteem among Japanese Youth(2)(2022.09.28)
- 現代日本における「貧困」ー国際比較/ Poverty in Contemporary Japan: An International Comparison(2022.09.26)
- 菊池寛「私の日常道徳」大正十五年一月(1926年)(2022.06.26)
コメント
府川さん
前近代から近代への変貌も、なし崩し的であまり劇的なものだったわけではなかったと思います。おそらく、ポスト近代へも、色々な兆しを発しながら、グズグズとなし崩し的に半世紀ぐらいで移行するのではないでしょうか。挙げられた例がその兆しの一つかどうかはまだ分かりません。しかし、可能性の一つではあると思います。その心性がどのくらいのペースでマジョリティになるかどうか、です。
投稿: renqing | 2012年2月 2日 (木) 12時59分
なるほど。してみると月15万円の派遣労働で買い物はいつも100円ショップで満足という生活者は、成長パラノイアを捨てたのか。単に不景気だからその生活に甘んじているのではなくて、物心ついたときからそもそも成長幻想がない若者たちが、統計調査では生活満足度が高いと出ている。これは近代が終焉したのでしょうか。一過性のものなのでしょうか。
投稿: 府川雅明 | 2012年2月 1日 (水) 01時37分