レミオロメン「アカシア」(2004年)
レミオロメンが2012年02月01日、活動停止を発表した。
このブログでも、彼らについて2回ほど触れている。
彼らの活動は、前回とりあげた 、名盤『ether エーテル』 (2005)、というアルバムに集約されてしまうのではないか、とも思える。だから、この幕引きはやや唐突だが、私の中では違和感もあまりない。
いま、彼らの曲を取り上げるのは、レミオロメンの楽曲の詞の良さ、藤巻亮太の詞のよさを今一度感じたいからに他ならない。このアルバムは粒ぞろいの曲ばかりだが、「アカシア」という曲の一節にも、作詞家藤巻亮太のさり気ない天稟のきらめきが感じられることをちょっと書いておきたい。
最後のフレーズの、
勇気が足りないかい? それなら僕も同じさ
や、第4連の
なくしてしまっても それさえ始まりなのさ
という詞は、明日へ生きる力を探しているひとに、いかほどか力を与えることを可能にする言葉だという気がする。
また、「3月9日」のリフレイン、
瞳を閉じれば あなたが
まぶたのうらに いることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私も そうでありたい
の「あなたにとって私も そうでありたい」という詩句は、そう簡単に紡ぎだせる一節とは思えない。
平凡な言葉を非凡な詩情にかえる藤巻亮太は、得がたいポップ・アーティストだと私には思える。
レミオロメン「アカシア」(2004)
作詞:藤巻亮太
作曲:藤巻亮太
ぼやいて 少し笑って 元気になった
お互い あの日のままじゃいられないけれど
緩んだ青空はどこまでも
肌寒く
僕ら 歩き出した
どんな事だって起こるさ 寄り道の先
空が青い事に 理由(わけ)もなにもなかった
ここから始めようか 意味なら雲と同じさ
僕らはこのまま そう 意味なんかないから
なくして 開き直って 元気になった
君なら どんなふうに 笑ったんだろうか?
雨のあと生ぬるく 涙も
分からなく
手のひらを見つめて
どんな事だって起こるさ 陽が差し込んで
アスファルトに映る影ばかり 伸びていくんだ
なくしてしまっても それさえ始まりなのさ
そこで揺れてるのは アカシアの並木道
風一つに優しくなれるんだ そうだ
その花が咲いたら思い出してみて
どんな事だって起こるさ 好きに生きるよ
繰り返しながら すり減りながら行くんだ
勇気が足りないかい? それなら僕も同じさ
風を吸い込んだら アカシアの香りだけ
胸をギュッと締めつけた
※本エントリーの前々回、前回の記事にコメントをつけて戴いた方々には、なしの礫のままで申し訳なく思っています。現在、新年度と旧年度の移行のため、仕事上で猛烈にプレッシャーがかかっているため、にっちもさっちもいきません。あと2週間ぐらいは時間が作れない状態が続きそうです。ご寛恕いただきたくお願いします。
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