頸部(=くび)はなぜ脆弱にできているか?
変なタイトルで恐縮(弊ブログには多い・・・)。
動物、特に哺乳動物は、頭部に神経系と内分泌系が集中し、胴部に消化系や循環系が収まっている。換言すれば、頭部が情報処理部、胴部が動力部といえる。あまり正確な対比ではないが、自動車に例えれば、頭部がハンドル、胴部がエンジン・燃料系というわけだ。
生存のための情報処理を担う頭部と、身体すべてを駆動させる機能を持つ胴部は、頸部(=くび)という脆弱な《回廊》でつながっているだけだ。したがって、肉食獣はその獲物を捕獲する際、優先的に攻撃するポイントは頸部(=くび)となる。ここを肉食獣の強力な咬噛力(噛む力)で襲われると大抵の動物は窒息死してしまう。それがハンティングにおいて最も効率がよい仕事となる。
ではなぜ、そんな重要な《回廊》が剥き出しの柔らかい頸部(=くび)で外気に晒されているのか。
それは、頭部と胴部を第一次的には分離するためなのである。
またしても私が怪しげな発言をすると訝しむ方もおられよう。それでは、試しに下記のことを試みられたい。歩き続けながら、両手で口鼻を覆ってみる。たとえば、路上を歩いているとき、砂塵が巻き上がり、口と鼻を両手で覆う。あれである。その状態で歩いてみて欲しい。
どうなるか。これがとてもではないが極めて歩きにくいのだ。なぜか。歩行の際、ボディ部分の振動が手を媒介して直接頭部に伝わってしまい、頭部が振動しまうからだ。こうなると、視認がまず困難になり、思考することもままならない。すなわち、動物は運動中の身体の振動を、頸部の柔らかさで情報処理をする頭部に伝動させないようにしているわけだ。
よく歩行中に携帯電話をかける場合があるが、それがそれほど困難が発生しないのは、携帯電話の受話口と耳が終始ずれるからだ。もし受話口を耳にピッタリ固定でもしたらとても話せないはずだ。
つまり、頸部(=くび)は、頭部での情報処理の機能を、絶えず発生する動物の身体振動から保護していることになるだろう。
別に大した議論でもないが、思いついたので備忘録として記事化した。悪しからず。
| 固定リンク
「自然科学 (natural science)」カテゴリの記事
- 柳田国男「實驗の史學」昭和十年十二月、日本民俗學研究/ Yanagida Kunio, Experimental historiography, 1935(2024.10.20)
- T.rex よりデカい、7000万年前の時速10kmで歩く恐竜の足跡(ゴビ砂漠、岡山理科大学)/Bigger than T.rex, footprints of dinosaur walking at 10 km/h 70 million years ago (Gobi Desert)(2024.09.14)
- 動物に心はあるか?(2)/Do animals have minds or hearts?(2)(2024.04.28)
- ぼくらはみんな生きている/ We are all alive(2023.10.29)
- 動物に心はあるか?/Do animals have minds or hearts?(2023.09.02)
「身体論 (body)」カテゴリの記事
- The Body as Empirical Rationalist(2022.04.25)
- 経験的合理主義者としての身体(2022.04.25)
- 肉体は頭の下僕?/ Is the body a servant of the head?(2021.12.15)
- 小説「ジョゼと虎と魚たち」(田辺聖子/1984年)①(2021.09.10)
- 「物質主義」から「肉体主義」へ From materialism to physicalism(2018.07.05)
コメント