小栗康平「伽倻子のために」1984年
東京国立近代美術館フィルムセンターで、「伽倻子のために」が今年(2013)の4、5月と上映されていたようだ。残念無念。
「逝ける映画人を偲んで」という企画で、カメラマンの故安藤庄平氏を回顧したものとのこと。この情報自体は、下記の小栗康平氏のオフィシャル・サイトの記事で知った。
この映画のヒロイン、南果歩が在日の方だったことを初めて知った。
昨年末、NHKで放送された、
2012年12月24日NHKデジタル総合
ファミリーヒストリー南果歩~波乱の南一族・1300年の絆~
で詳細は明らかになったようだ。
放送内容は、下記に詳しい。
南果歩は、「伽倻子のために」のオーディションを受ける少し前に日本国籍に帰化したらしい。その時19歳。桐朋大学の演劇科1年生に在籍していたと思う。
そのオーディションでのエピソードを、後年小栗監督にインタビューしたことのある新聞記者が、ご自分のブログに、小栗監督の言葉として書き留めている。
あるとき、一風変わった子がオーディションを受けにきた。まだ高校生で素人だったが、在日朝鮮人夫婦に育てられる日本人少女伽椰子の設定にふさわしい雰囲気をもっていた。多分在日コリアンだろうと直感した、といいます。それが南果歩だった。
南果歩さん、よかったねルーツとつながって。 感謝カンレキ雨あられ+5/ウェブリブログ
私は1984年の公開当時、東京・神保町の岩波ホールで観た。その頃は、東宝東和で配給される欧州映画がよく岩波ホールでかかっていて、ちょこちょこ足を運んでいた。ベルイマンの「ファニーとアレクサンドル」とか。その中にいかにも地味そうなこの邦画があった。
今でも幾つかその場面を憶えている。
北海道の夏の夜。白樺並木を青年とヒロインが少し離れて歩く場面。静謐な詩情に溢れ幻想的でとても美しい情景だった。また、青年とヒロインが東京の青年の下宿に駆け落ちして、目覚めたのが西の空に陽が傾いた頃。その時、ヒロインが「サンジュニ、起きよう。もう夕方だよ。」と煎餅布団に一緒にくるまっている青年にかけた言葉。その言葉が、運命に引き寄せられ、そしてまた同じ運命によって引き離される二つの魂の、不条理な明日の見えない逢瀬とその結末を暗く予言していて心が呻いた。そしてラスト。十年後、青年が北海道の少女の実家を訪ねると、聞かされたのは「結婚した」との父親の言葉。青年が嫁ぎ先のその町を訪ねると雪の積もる通りに一人の小さな女の子が遊んでいる。「名前は?」「美和子。」とその女の子が答える。ヒロインの「伽倻子」は養女としての名前。元の日本人名が「美和子」。それを耳にした主人公が雪の降る通りに立ち尽くす。今となれば、このラストは、小説「春の道標」の結末と共通する絶望感であり、行き場を失った魂の浮揚感を悲劇的に表していて息苦しかった。
原作の李恢成『伽倻子のために』(1970年)も読んだが、ストーリーはかなり異なり、内容はもっと辛いものだった。また、なにかのイベントで出演者の南果歩と配給元東宝東和の故川喜多かしこ女史に会い、両者にサインと南果歩には握手をさせてもらったが、まだ素人素人した雰囲気を持ちつつ、女優の卵の輝きを放ち始めていたような気がする。
公開から7、8年経過したときだったろうか。どうしても観たくなり、フィルムの所有者劇団ひまわりに電話でビデオ化を問い合わせると、その予定はないが定期的な虫干しのための、劇団の施設での上映があると聞き、特別に見せてもらったことがあった。今でも意外に場面場面を憶えているのは、そのためもあるのだろう。
小栗康平氏は寡作にも関わらず、「泥の河」が取り上げられることがほとんど。しかし、この映画もその価値にふさわしい評価を得てもらいたいと切に願う。
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