江戸のストラップ(根付)/ Netsuke
蝉オタクである、高村光太郎のエッセイの一文。
セミの彫刻的契機はその全体のまとまりのいい事にある。部分は複雑であるが、それが二枚の大きな翅によって統一され、しかも頭の両端の複眼の突出と胸部との関係が脆弱(ぜいじゃく)でなく、胸部が甲冑(かっちゅう)のように堅固で、殊に中胸背部の末端にある皺襞(しわひだ)の意匠が面白い彫刻的の形態と肉合いとを持ち、裏の腹部がうまく翅の中に納まり、六本の肢もあまり長くはなく、前肢には強い腕があり、口吻が又実に比例よく体の中央に針を垂れ、総体に単純化し易く、面に無駄が出ない。
セミの美しさの最も微妙なところは、横から翅を見た時の翅の山の形をした線にある。頭から胸背部へかけて小さな円味を持つところへ、翅の上縁がずっと上へ立ち上り、一つの頂点を作って再び波をうって下の方へなだれるように低まり、一寸又立ち上って終っている工合が他の何物にも無いセミ特有の線である。翅の上縁の波形と下縁の単一な曲線との対照が美しい。セミの持つ線の美の極致と言える。その波形の比例はセミの種類によってそれぞれの特色を持つ。又セミを横から見ず、上方から見ても翅の美はすばらしい。左右の二枚がよく整斉を保ち、外郭はゆるい強い曲線を描いてはるかに後端まで走り、内側は大きい波形を左右から合せるように描き、後半は又開いて最末端でちょっと引きしまる。
セミは生きている時も死んでからも大して形に変化を来さないが、此の翅の末端だけは違う。生きている時には其がかすかに内側にしまっているが、死ぬと其処が開いた形のままで終るようになる。むろんかすかにしまっている方が美しい。木彫ではこの薄い翅の彫り方によって彫刻上の面白さに差を生ずる。この薄いものを薄く彫ってしまうと下品になり、がさつになり、ブリキのように堅くなり、遂に彫刻性を失う。これは肉合いの妙味によって翅の意味を解釈し、木材の気持に随(したが)って処理してゆかねばならない。多くの彫金製のセミが下品に見えるのは此の点を考えないためである。
すべて薄いものを実物のように薄く作ってしまうのは浅はかである。丁度逆なくらいに作ってよいのである。木彫に限らず、此の事は彫刻全般、芸術全般の問題としても真である。むやみに感激を表面に出した詩歌が必ずしも感激を伝えず、がさつで、ダルである事があり、却(かえっ)て逆な表現に強い感激のあらわれる事のあるようなものである。そうかといって、セミの翅をただ徒(いたずら)に厚く彫ればそれこそ厚ぼったくて、愚鈍で、どてらを着たセミになってしまう。あつくてしかもあつさを感じない事。これは彫刻上の肉合いと面の取扱とによってのみ可能となるのである。しかも彫刻そのものはそんな事が問題にならない程すらすらと眼に入るべきで、まるで翅の厚薄などという事は気のつかないのがいいのである。何だかあたり前に出来ていると思えれば最上なのである。それが美である。この場合、彫刻家はセミのようなものを作っているのでなくて、セミに因る造型美を彫刻しているのだからである。
それ故にこそ彫刻家はセミの形態について厳格な科学的研究を遂げ、その形成の原理を十分にのみこんでいなければならないのである。微細に亘った知識を持たなければ安心してその造型性を探求する事が出来ない。いい加減な感じや、あてずっぽうでは却て構成上の自由が得られないのである。自由であって、しかも根蔕(こんたい)のあるものでなければ真の美は生じない。高村光太郎 蝉の美と造型(下線、彩色フォントは引用者)
このしつこい程の微細にわたる描写。蝉に魅入られていますなぁ。上の蝉をかたどった根付の一つや二つは持っていたでしょうね。
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コメント
おお、かわうそ亭様、ご無沙汰しております。
>中国人はどうなんだろう?
私も存知あげないですねぇ。
海外仕様のcell phone 類には、
そもそもストラップ用の穴がないの
ではないか、と推量しますが。
韓国人や中国人に同じ嗜好があるか
と考えると、なさそうな気がします。
彼等の士大夫カルチャーでは、
「職人気質」などという労働者階級を
誉めそやす感覚はゼロ、ではないか、と。
その辺、ご存知の方がおられれば幸い。
投稿: renqing | 2013年6月27日 (木) 03時14分
お久しぶりです。わたしも以前から、携帯ストラップと根付には、近世と現代をへだてながら、同じ日本人の変わらぬ好みが出ていると観察していました。海外ドラマなどを見る限りでは、アメリカ人は携帯にストラップをつけないように見えます。中国人はどうなんだろう?
投稿: かわうそ亭 | 2013年6月26日 (水) 06時35分