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2014年1月15日 (水)

享保五年、徂徠哭す

黄鳥うぐいすは花に哭き花は露に泣く
尋常なべての草の色は墳墓に似らる
始めて訝いぶかる掌のなかの珠の光りは許くも多きを
さかりの春の到る処 総べて暮ゆうべと成る 

 徂徠は次々と家族を失った。
 享保五(1720)年、一人残った娘増ますが十七歳で病死する。その深い嘆きを上記の七言絶句に詠っている。時に、徂徠55歳。

《徂徠学革命》とも言うべき、徳川知性史のエピステーメーを塗り替え、男子としてやれることはやり切ったのだろうが、現代日本に比べると平均寿命が短いとはいえ、それにしても辛すぎる私生活と思える。

〔出典〕
「徂徠集」巻五
吉川幸次郎「徂徠学案」、日本思想大系36(1973) 、P.717、岩波書店
尾藤正英「国家主義の祖型としての徂徠」、荻生徂徠「政談」尾藤正英抄訳、講談社学術文庫(2013) 、P.297
 あるいは、尾藤正英『日本の国家主義-「国体」思想の形成』2014年5月、岩波書店 所収「国家主義の祖型としての徂徠」pp.167-221

※参照
徂徠先生、それは『荀子』にありません(たぶん): 本に溺れたい

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