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梅棹忠夫は、その発想の柔軟性と豊かさ、理論的独創性において戦後日本が生み出した最も秀でた知性の一人である。
彼は元来理学博士であるが、結果的に活躍した分野は人文・社会科学系といえるだろう。アイデアの豊富さ、独創性において梅棹と双璧をなすのは、自然科学系の渡辺慧にまず指を折らなければならない。梅棹はその意外性で、渡辺はその鋭利さで、卓越している。
渡辺慧は梅棹に比べれば国内的には知名度の点で劣るが、海外への知的影響力の深さは恐らく渡辺が大きい。とりわけ理論哲学(あるいは科学哲学)上では近代日本では随一だろう。ただし、渡辺自身が述懐しているように彼が Yale に残り、自らの school を北米で形成(弟子の育成)していれば、随分その世間的評価も変わっていたろう。
晦渋さ皆無の爽快なまでの理論的先鋭さ、人類知性史におけるその射程の長さ、この二つの点において20世紀日本が誇ってよい理論家は、梅棹忠夫、渡辺慧、この2人だと確信する。
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