存在するものは「知り得るもの」だけではない(4)
■開かずの扉
ある人間、ある事象に対してかたくなに拒絶的な態度をとることによって、かえって鮮烈に考えや気持を伝えることができることもある。そういう点から眺めると、人間の心には、無数の扉があって、ある扉はたえず開かれたり閉じたりしているのに、一生に一度か二度しか開かない開かずの扉もまたあるという風に思われてならない。
■言葉の回廊
その開かずの扉を開くか開かないかということは、その人にとっては大事件なのである。その開かずの扉が何らかのきっかけで開くときに生じる他者との全く新しい関係、それこそが、かけがえのない「コミュニケーション」の姿のように思われる。それは、ある心と別の心との間に、とつぜん新しい橋がかかることに他ならない。それが人を幸福にするかしないかは一概に言えない問題だが、少なくともその瞬間、人は自分自身について、あるいは相手について、新しい発見をする。暗い部分に光がさしこむ。つまり、ノヴァーリスの言葉にもどっていえば、「見えるもの」にさわっている「見えない」ものが見えてくる。私たちは日常おびただしい「コミュニケーション」の網目の中を生きながら、心の底では絶えずそういう瞬間、この「もう一つのコミュニケーション」を渇き求めているのではないだろうか。
大岡信『ことばの力』花神社(1987年)、pp.24-25
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