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2014年6月29日 (日)

この敗戦が「いい経験」になるかどうかは、今後の努力次第(イビチャ・オシム)

2014年6月時点での日本代表が、地球の裏側から不本意な結果と内容で6月中に帰国の途に着かなければならないことが明らかになってからというもの、 football関連の記事を書く気が全く起こらなかった。先に書評記事を投稿するという原点に回帰したのもそれが大きい。

しかし、単なるコンテンツとしてのスポーツを報道するメディアだけがあり、スポーツ・ジャーナリズムが存在しない日本では、またぞろ「この4年間は無駄だった」や、選手やコーチ個人を《贖罪のヤギ》に仕立て上げる類のネガティブ・キャンペーン記事が跋扈していることには、少々腹を据えかねていた。

そこでオシムさんの記事である。 さすがにオシムさんはプロフェッショナルな方なので、次のロシアWCを見据えて、今回の Les Misérables な結末から何が得られるかを考え、述べてくれている。

【オシム分析1】失望する必要ない 一つ上のレベルに進む可能性示した ― スポニチ Sponichi Annex サッカー
【オシム分析2】結果出せなかった理由は日本自身の内部にある ― スポニチ Sponichi Annex サッカー
【オシム分析3】「日本らしいサッカー」の方向性は間違っていない ― スポニチ Sponichi Annex サッカー

オシムさんの分析の要点は、コートジボアール戦、ギリシア戦と日本代表がチームとして「ファイト」できていなかったことがGL敗退の大きな要因と指摘。コロンビア戦はそれがチームとして前面に出ていたことに少し光明を見出している。

また、本田、香川という両エースに「俺が」的力みが目立ち、日本チームらしい、ワンタッチやダイレクトプレー、組織的攻撃ができていなかったと述べている。内田の効果的な攻撃参加については評価し、もっと積極的でもよかったという。 また、長期的な強化の方向は正しいし、日本人のストロングポイント(組織性や勤勉性、俊敏性、献身性)を生かしたスタイルは未完成なのだから、今後も成長する余地がいくらでもある、という。

指揮官ザッケローニに関してはひと言も触れていないが、結局チームの結果はボスの手腕とその帰結なので、リスペクトを払い敢えて言わずもがなのことには触れないようだ。

■ブログ主の雑感
南アフリカ以降の日本代表の4年間の歩みにはそれほど致命的な間違いはないように思う。

ただ、ザッケローニ氏のこの本大会幕開け後の迷走ぶりには少々残念な気がする。フットボール指導者として有能だとは思うが、やはりクラブと代表ではのしかかるプレッシャーが桁違いだったのではなかろうか。特に、ワールドカップ本大会という地上最大のスポーツイベントにおける精神的圧力はとてつもないものだったのだろうと推測する。

日本代表がGLを突破した日韓共催大会でのフィリップ・トルシエ氏は、日本代表に就任する前、コートジボアール、ナイジェリア、ブルキナファソ、南アフリカ、とアフリカ大陸の小規模な国家の代表監督を4つも経験していた。また、前回南アフリカ大会の岡田武史氏はフランス大会の3戦全敗の苦渋を舐めている。

日本はまがりなりにも、人口1億3千万人、経済規模も地球上で有数の大規模国家であり、所詮たかが(笑い)フットボールの代表チームとは言っても、それをとりまく環境は国家規模のものだ。ザッケローニ氏の地元であるイタリア・セリエAのビッグ・クラブであっても、そのバックボーンはせいぜいミラノやトリノという都市に過ぎない。それは本質的に異なるものだと考えたほうがいい。そもそもイタリアには国家などというものはなく、諸都市の連合国家でしかない。

やはり日本規模の代表チームを率いるなら、代表監督経験、できればWC本大会を経験したコーチが望ましいと思った。

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