徳川朱子学はどこに消えたか
弊ブログ記事に貴重なコメントを頂いた。せっかくなのでコメント欄での応答とはせず、簡略に新記事とさせて頂くことにする。
りくにす さん
ところで寛政異学の禁によって江戸の儒学は進歩が止まってしまったかのように言われることがありますが実際はどうなのでしょうか。朱子学が庶民にも浸透していった時代ですので当時の日本人は今より議論好きだったのではないかと思います。朱子学と幕末維新に関する資料などを紹介して頂けるとありがたいです。
ブログ「本に溺れたい」のエントリー「小倉紀蔵『新しい論語』ちくま新書(2013年12月)」に新しいコメント
この重要な問題に、俄かに回答する準備が弊ブログ主になく、また折悪しく身辺多忙中のため、時間稼ぎとして\(;゚∇゚)/、ご参考までに弊過去記事2件と、外部サイトの優れた書評記事1件をご紹介致します。ご容赦頂ければ幸甚。
1)19世紀徳川日本における民の力量の増大(4:とりあえずの結語): 本に溺れたい
2)渡辺浩『日本政治思想史 ― 十七~十九世紀』東京大学出版会(2010年)(7): 本に溺れたい
3)「徳川後期の学問と政治 -昌平坂学問所儒者と幕末外交変容」眞壁仁著 | 政治外交検証 | 東京財団
思うに、徳川晩期(19世紀)には、新朱子学(ポスト徂徠学としての徳川朱子学)は、知の基盤となり、いわばPCにおけるWindowsのようなOSとなってしまい、誰も事々しく「朱子学」云々とは言わなくなってしまっていたのではないか、というのが弊ブログ主の暫定的感想です。だから、「ご一新」のいろいろな側面に、図らずも朱子学色が滲み出てしまっている。《維新クーデタ》の首謀者たちがそう自覚していなかったとしても。
したがって、《徳川王権》は国制史的には非朱子学的な王権であったのに、むしろ《維新王権》のほうが朱子学色を強めてしまった、という文明の逆説が起こった。「ご一新」直後の神仏分離と廃仏毀釈という《文化大革命》などは、北宋末期の徽宗による祠廟政策と酷似しています。
以上、暫定的ご報告とさせて頂きます。
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