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2015年5月 2日 (土)

読書をすると頭が良くなるか?(2)

 「読書をすると頭が良くなる」理由を二つの角度から考えてみる。

■本の情報量は少ないが故に、読書すると頭が良くなる

 20世紀後半に一般人にも操作可能な個人向け計算機が実現し、そのハードとソフトの技術が爆発的に発達したため、人類史規模において有意味な言語やイメージ情報の生産、加工、伝達、消費の仕方が根本的に多様になった。今では、人と人の間を、有意味な文字や絵で結びつける媒体(メディア)は、かつての主流であった石、木材、紙片から、送受信可能な機械に比重を変えた。とりわけ、現代では本・雑誌という紙媒体からPC・スマホ等の電子機器媒体に主流が変わった。やり取りされるコンテンツは、数千年前から相変わらず有意味な文字(テキスト)・絵(イメージ)だが、現代ではメディアの高性能化でそこに動画も加わっている。

 一般に、電子メディア上のファイルサイズは、テキスト<画像<動画である。したがって、HDDに保存するときも、テキストから動画になればなるほど記憶容量を喰う。つまり、それだけ情報量が多いことになる。逆に言えば、テキスト・データの情報量はスカスカなのだ。スマホで動画を頻繁に見ればバッテリー残量が急減するのも道理だ。「百聞(や百言)は一見に如か」ないのである。

 このことを身体の動きから見るとどうなるか。一般に身体の動きが少なくなればなるほど筋肉量が減り、脂肪が増える。脳細胞も使えば使うほど活発になり(賢くなり)、使わないと衰える(悪くなる)。すなわち、電子メディアで画像や動画を閲覧するときの脳の活動負荷は、ファイルサイズを想起すればわかるように本を読んだときに比べると圧倒的に少ない。テキストデータの塊の本は情報量としてはスカスカのため、脳のイメージ喚起力を使わない限り、コンテンツ内容をうまく咀嚼できないわけだ。データがイメージやムービーであれば受け取れる情報は膨大だが、その分、脳の活動余地は狭まる。頭脳を引き締まった筋肉質にしたいのであれば、電子メディアの画像や動画ではなく、読書すべきである。

■読書は時間と空間を越えた他者とのコミュニケーションだから頭がよくなる

 数学者の故森毅は、友には己と異質な人間を選ぶほうが面白い、と盛んに述べた。森は友人には心の安らぎではなく知的刺戟を求めるタイプだったのだろう。

 書籍のすごいところは、時間と空間を軽々と超え、他の時代、異国の筆者と会話できることだ。そして、自分と異なる他者であればあるほど、己の頭脳をフルに活動させ、想像力を働かせなければ理解できない。異質な他者を理解するためには、「他者の立場に自分を置いてみる」ための想像力をフルに稼働させない限り、永久に理解できないからである。
※Max Weberの言う Kulturmensch(文化人)の立場。
※例えば、「枕草子」であってもそう。 参照弊記事⇒身分と労働

 人類文明史が古代メソポタミアを嚆矢とするなら約7千年ほどあるが、その分厚い文明史の知的遺産の中で、画像データや動画データでアクセス可能なのは高々ここ二十年間に作成されたコンテンツだ。従って、残りの6980年分ほどは書籍という紙媒体を通じてしか知り得ない。人類の知的遺産のデジタルデータ化は進められてはいるし、進めてもらいたいが、これも究極的には手作業なのでそう簡単にはすすまない。それからすれば、PC、スマホ経由の情報だけを消費している限り、頭をよくする膨大な機会を失っていることになるだろう。

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