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2015年6月 7日 (日)

光の速度を超える話

光の速度は、秒速約30万km(c = 299792458 [ m / 秒 ])。地球から火星まで最短距離(太陽→地球→火星と直線に並んだとき)だと、約7700万km。ということは、地球から火星まで光の速度で、7700万 km ÷ 30万km = 256秒 = 4分28秒、かかる計算となる。

さて、こう考えてみよう。

あなたは書斎の窓を開けて、PCデスクの手元から一本のグラスファイバー状の極く細いパイプを外に突き出す。このパイプは質量ゼロかつ、たわまないとする。そのパイプは孫悟空の如意棒のようににょきにょき直線状に伸びて、火星表面の地球調査隊の前線基地まで届いているとする。質量ゼロなので太陽系各惑星の重力には引っかからない。前線基地にはあなたの知人がいて、天から降ってきている細いパイプを見つめ、今か今かと実験の時を待っている。

ここから実験。
今、あなたは、眼の前にあるパイプの端を、指でチョイと1秒間で5cm押す。すると、そのパイプは火星表面までたわまず直線状で伸びているので、知人の手元でもチョイと動く。このパイプの動いた速度は秒速5cmだ。

もし、そのパイプを使って光信号通信ができるとすると、地球のあなたが「今、押したよ」というと、火星の友人にそのメッセージが届くのは 4分28秒後だ。しかし、そのパイプをあなたが押したことは1秒もかからずに火星の友人に判明する。

物理学において、我々の生きている宇宙には光の速度を超えるものは存在しないことになっている。にも関わらず、この仮想実験においては、何かが光の速度を超えて伝わっていることになる。そんな馬鹿な、と思うのだが・・・。

おそらく、この仮想実験には、仮想だとしても無理があるか、根本的に矛盾があるのだろうと思う。もし可能であれば、弊ブログをご覧の諸氏からご指摘頂ければ甚だ感謝する次第。

※「秒速5センチメートル」にまつわる科学記事。
流体力学で検証:桜の花の落ちるスピード「秒速5センチメートル」は正しいのか? (1/3) - MONOist(モノイスト)

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コメント

御坊哲 様

再び、コメントありがとうございました。

ご教示によって、私の妄想に根本的な欠陥があることに合点がいきました。

「力」とその「伝わり方」をしっかり考えていなかったようです。
ご指摘のように鉄のような剛体の延長で、「たわまない」物体をイメージしていました。しかし「力」が「物体の運動を変化させるもの」だとすれば、宇宙パイプを押すことは、その状態を変化させるものなので、有限時間かかる。有限時間かかるとすれば、光速を上回ることはできない。

量子力学の遠隔作用的なことをもっと簡単な事例で考えられないか、と思い構成してみたのですが、基本的なところでミスをしていたようです。

間違いの事例として、記事を残しておくことにします。ありがとうございました。

ブログ主

投稿: renqing | 2015年6月12日 (金) 13時08分

私が言いたいのは、たわみのない鋼体というものが主観によって構成されたものだということです。鉄のように稠密な塊を押すと、それは一体となって動いているように見えます。しかし、力は一つ一つの分子が順繰りに伝えていることは前回のコメントで述べたとおりです。
「たわまない」という性質が鉄の塊の硬さの延長上の連想によってできたものなら、どんなに硬い物質でも、力の伝わり方は光速以下であるということになります。(物質が無限に硬いとき、力の伝播は光速で伝わるということになるはずです。ちなみに質量は関係ありません。どんなに重くても、たわみがなければ必ず力はどこまでも伝わります。)
「一体となって同時に動く鋼体」と言う概念は一応矛盾なく定義できますが、現実の物理の世界では空疎なものであると思いました。

投稿: 御坊哲 | 2015年6月10日 (水) 21時45分

御坊哲 様

コメントありがとうございます。こちらこそご無沙汰です。

貴コメントは、私の妄想のうち、このパイプは、
①質量をもたない(⇔光以外の物質は質量を有するはず)
②たわまない(⇔質量を有するなら、原子の構造を持つはず)
という仮定にそもそも無理がある、とのご指摘だと理解しました。

ふ~む。「光」というこの世に実在するものを論じるのに、妄想パイプのようなこの世に実在し得ないものを想定して議論するのが、おかしい、ということでしょうか。うえの妄想はそもそも成立しない、ですか。議論の構成に問題があったかも知れません。

投稿: renqing | 2015年6月10日 (水) 11時28分

お久しぶりです。御坊哲です。

件のパイプを押したとき、その移動の伝播は当然パイプを構成する分子(原子)が順繰りに動くことによって起こるはずですね。まず、その一つ一つの分子(原子)の内部における力の伝わり方を考える必要があるのではないかと思います。
その原子は原子核と電子からできています。電子は原子核の周りに確率的に分布しており、その分布の範囲が原子の大きさだとされています。原子核も電子も原子の大きさに比して極めて小さいので、原子のほとんどの部分は真空です。その電子による結界の一部に力が加わった時、その反対側にまでその作用が伝わるのは何らかの電磁作用によるものだと考えられます。やはり、光の速度を超えてパイプの移動が伝わることは不可能でしょう。

投稿: 御坊哲 | 2015年6月10日 (水) 09時39分

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