国制と名前(name)
2015/06/18付 塩沢由典様のコメントへの応答です。
■徳川期における名字に関して
徳川期における名字に関しては下記の記述が参考になります。
「実は、江戸時代の百姓と町人は、その多くが非公式に名字を持っていた。名字が名乗れないのというのは建前であった。領主あての公文書の中で、名字が使えなかっただけである。私信を書いたり、寺社に寄進をしたりするときは、みんな、かなり自由に名字を使っていた。」
「教科書では庶民は名字を名乗れなかったように教えているが、実情をみるかぎり、江戸時代の名字制限は緩かったといってよい。だから日本中の百姓・町人が墓に名字を刻んでいる。むしろ江戸時代は一般庶民まで「家名」が普及し、「家」を重んじる思想が浸透した時代であったといえる。」
磯田道史『江戸の備忘録』朝日新聞出版2008年 、pp.181-182
■近代国家と姓
島村修治『世界の姓名』講談社1977年 、pp.14-16、から。
①世界中で貴族・豪族のみならず一般庶民で最も早く姓と名をあわせて用いたのは中国である。紀元前5世紀成立の『春秋』『論語』、『史記』での秦・漢時代の記述から豊富にその事例を知ることができる。
②中国文化圏にあったベトナム、朝鮮ではその影響で紀元10世紀には庶民にも姓名の使用は普及した。
③欧州では、紀元前3-2世紀ローマ、つづいてスペイン貴族で姓を用いているが、紀元5世紀の西ローマ帝国の滅亡とともに姓使用は一時廃れ、9世紀イタリア諸都市の貴族・上級市民で復活した。英国では11世紀、ゲルマン諸族では13世紀から貴族・豪族で広がるが、庶民にはひろがらず。
④(中国および隣接する極東の一部を除いた)広い世界の各地域の庶民の間に、姓の使用が一般化したのは18世紀中葉~19世紀からである。
⑤欧州で決定的だったのはフランス革命後のナポレオン民法典。フランス全国民は姓の使用を義務づけられ、フランス勢力下の近隣諸国民にも姓の使用を命じた。
⑥革命フランスの意図は、
1)国民皆兵の徴兵事務の合理化
2)効率的な徴税方式の改革
といった、行政上の必要から。明治維新政権下でもこれは同じ。
⑦欧州の植民地が増えるにつれ、植民地行政の必要から、各地域で庶民の姓使用が普及した。
■参照
古代ギリシア人の名前
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コメント
塩沢由典 様
前回の塩沢様のコメントにこうありました。
>わたしの家も、母方の家も、ともに農民ですが、江戸時代にから苗字(塩澤と福島)はちゃんとありました。
また、本記事引用の磯田道史氏の記述でも、日本中、庶民が普通に墓碑に名字を刻んでいる、とあります。ところが、磯田氏も「教科書では庶民は名字を名乗れなかったように教えている」と言い、塩沢様も
>しかし、日本は、江戸時代に苗字(姓、家名)を名のらせないことが、政府(幕府+藩)の一般的政策だったようです。
とおっしゃいます。これは不思議ですよね。徳川期政治史研究者であれ、教科書執筆者であれ、その出身が庶民であっても、ご自分の先祖をちょっと探れば、墓石に名字が入っていたり、普通に苗字を使用していた家の記録が残っていたはずです。学問の進歩の最大の要諦は、「事実の尊重」です。実証を重んじるはずの歴史家たちがそんな初歩的な過ちを過去150年間も繰り返してきた。経済学者が「オックスフォード調査」を無視するように。
これは、明治期に西洋をまねて「歴史学」をこしらえた維新政権の、対徳川ネガティブキャンペーンの一環と考えるのが合理的です。
明治初期、維新政権は西日本一体で吹き荒れた新政反対一揆に腰砕けになりそうでした。この一揆のメッセージは、「学制」反対、「地租(=徴税)」反対、「徴兵」反対、です。
これは、まさに、ナポレオン政権が、庶民に姓を強制した理由である《徴税》《徴兵》と同じです。つまり、徳川期に庶民が自由に姓を名乗れた事実は伏せ、「ご一新」でようやく、《四民平等》となり、苗字も名乗れるようになった、良い時代になった、下々ども、有難く思え、という訳です。
日本史(及び学校歴史の世界史)にはこの手のカラクリ(歴史の捏造)が張り巡らされています。これでは、私たち日本人が現在や未来に向けて、よりましな国民的意思決定が出来るわけがない。私が理論経済学ではなく、歴史学を志向するのも直接にはこの事態が影響しています。
投稿: renqing | 2015年7月 9日 (木) 10時48分
姓だけでも、すごい世界史ですね。ありがとうございました。
投稿: 塩沢由典 | 2015年7月 8日 (水) 23時39分