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2016年4月19日 (火)

追悼 安丸良夫

 安丸良夫氏が今月(4月4日)亡くなられた。2月、自宅近くで交通事故に遭遇され、入院中だった由。81歳。

私は安丸のよい読者とは言えない。調べてみたら、手元にあるのは3冊。

安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』平凡社ライブラリー1999年
(原著は青木書店1974年)
安丸良夫『神々の明治維新』岩波新書1979年

安丸良夫『近代天皇像の形成』岩波書店1992年

この中で、読了しているのは、②、③。①は導入部までしか読めてない。

名著といえば、やはり②に指を折るだろう。しかし、隠れたる一番の名著はおそらく、1976年の『出口なお』(朝日新聞社)だと思う。かつて古書店で見かけては立ち読みして棚に戻していた前歴が私にはある。出口なおの苛烈な生涯に触れることになぜか及び腰で今日に至った。エスペラント運動と出口王仁三郎の関係や、大正、昭和と2度の凄惨な大弾圧を含む大本教の受難史をモチーフにした傑作・高橋和巳『邪宗門』(河出文庫)等、周辺にいろいろ関心はあるのだが・・。どこかで踏ん切りをつけて一気に読むつもり。

別記事でも触れたが、いつもひっかかるのは、安丸の①における、十九世紀徳川日本の理解だ。

近世後期において、右にのべたような荒廃した村々は、けっして例外的な存在ではなかった。こうした荒廃をもたらした経済史的原因は、封建権力と商業高利貸資本による苛酷な収奪だった。こうした村々についての記述は、村内の土地がほとんど小作地になったこと、借財がきわめて膨大なことなどを強調しており、右の永原村のばあいのように貢租がとくに重いことが強調されているばあいもある。一定度の生産力の上昇をともなわずに収奪が激化すると、農民層分解が必然的に貧窮分解的な様相を呈して進行し、そこに荒廃した村々が無数に出現した。(①、pp.30-31)
 さきにのべたように、尊徳や幽学が活躍したのは、極度に荒廃した村々だった。(①p.35)

 一方、似た場面の記述をしている高橋 敏『江戸の教育力』ちくま新書(2007年)
では、

 懇願され長部村に奇遇した幽学は志を同じくする者を道友(門人)として迎え入れ、一大教団に組織していくことになる。幕末の、金がものを言う消費社会にどっぷり浸かって働き手は出稼ぎ、若者は放蕩無頼に耽る荒れ果てた村を如何にして立て直すのか。それは教育以外になかった。高橋著(p.98)

と表現している。安丸と高橋の筆致はほぼ同じに見えるが、安丸では日本の農村社会すべてが貧窮化(農民層分解)している印象をうけるが、高橋のものは、高度成長期の戦後日本の農村荒廃(東京一極集中の裏面)と似て、農村人口が賃労働者として都市部の稼ぎ場に流入する点が示唆されており、徳川社会全体の貧困さのみを誘発しない。

 安丸が明治コンスティチューションを②や③で根本的に批判し得ているとしても、やはり「徳川農村貧窮史観」イデオロギーにミスリードされていることは否めないと思う。それは安丸が主観的には全く意図しないとしても、究極的には前近代の徳川期を貶め、明治の近代を持ち上げてしまう効果をもたざるを得ない。

 戦後実証史学が速水スクールの人口史や経済史の成果を継子扱いすることを予て訝しんできた私だが、同様な心理機制が安丸にも、ほの見えて非常にがっくりくる点だ。

 後人は先人の肩に乗り、先に進む義務がある。我々も安丸の到達点を批判的に尊重しつつ、先に進まねばならないのだろう。安丸良夫氏のご冥福を祈る。

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